今日は家を出るときから帰ってくるまでずっと同じ曲をエンドレスで聴いていた。
40代くらいの方以外はあまりご存じない方も多いかと思うが、昨日、The Birthdayというバンドのチバユウスケというミュージシャンが食道がんであることがニュースで報じられたのだ。
チバユウスケはスピッツの草野マサムネと並んで私にとって神様のような存在である。中2くらいから今もずっと好きなので、もうなんていうか、完全に自分の思想や世界観に影響を与えまくっている人物の一人なのである。
チバやマサムネについてのエピソードは山ほどあるが、興味がない人には本当に興味がない話なのはわかっているのであまりここには書かないでおきたい。でも、チバと出会えたおかげで私は一見怖そうに見えるお兄さんやお姐さんと仲良くなれたり、なんていうか、そういう世界に生きる人たちの優しさや純粋さみたいなものを知れた気がする。
私は過去に2回ほど大き目の手術をしていて、娘に至っては人工心肺を使った結構な大手術をしている。しかし、そんな自分の病気や娘の病気を知ったときよりも、なんだかチバの食道がんの話を聞いたときの方がショックだった。
チバはいつもビールを片手に煙草をふかせているような人なので、食道がんと聞いて意外とかではなかったけど、なんかすごいショックだった。彼のガンがどのくらいのステージなのかとか、これからどうなってしまうかとか全然わからないけど、もし近い将来、彼に万が一のことがあったら、私はどうなってしまうんだろうと思った。
自分の子どもが死ぬのが一番ショックなのはわかりきっていることだが、その次くらいにショックを受けると思う。間違いなく、親が死ぬよりショックを受けるだろう。
ただ、今日電車でずっと同じ曲を聴きながら思ったことは、誰にでもいつか死はやってくるけど、何かを残すことができれば、そこを命綱のように掴んで生きていける人たちがいるだろうということだった。なんか電車の窓から外を見ながらそんなことをぼんやりと考えていた。
私が好きなアーティストや作家の方はまだご存命の方も多いけど、例えば音楽だったらフジファブリックの志村正彦とか、死んじゃったけど未だによく彼の曲を聴いている。チバとかつて同じバンド(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)のアベフトシもそうだ。「死んじゃったんだなー」とは思うけど、でもそれとこれとは別みたいな、月並みな表現なら「作品は色褪せない」的な感じだろうか。普通にそこにそれはあるのだ。
私自身、いまだに「芸術とは何か」について答えが出せていない元芸大生ではあるが、そこが芸術の素晴らしいところだと思った。たとえ創り出した者の命が失われても、芸術は時を超えて生き続けられるのだ。さまざまな解釈で形を変えたりしながらも。
そして思った。
生きている以上は、残していかなければならないと。
別にそれは芸術に限ったことではない。生きとし生けるもの、生きる意味とか別に見つからなくてもいいけど、残せるものは残しておいたほうがいいんじゃないかと。
自分になんて何の価値がないと思っていても、10年後、50年後、100年後に自分が残しておいたその何かについて、誰かが思いを馳せることがあるかもしれない。別に感動とか大それたものじゃなくたって、「ふーん」って感じなことだけでも。
私には何が残せるだろうか。
学生時代に描いた絵なんてもうほとんど捨てちゃったし、仕事で書いた何千記事もの文章もほとんどゴーストだし、ブログもこんなのしかないし、なんだろうな。
子どもたちに読み聞かせてる絵本の思い出とか、みそ汁の味とか、そんなのかなぁ。優しさ?言葉?なんだろうなぁ。
とにかく、どんな人も、残せるものがあるなら残した方がいい気がした。本を書ける人はいっぱい本を書いて、絵を描ける人はいっぱい絵描いて、料理作れる人はいっぱい作って、しょうもない人はいっぱいギャクでも考えて、なんでもいいのだ。
終活とかミニマリストとかあるけど、有形無形を問わず、残せるうちは残しておいたほうがきっといい。残したものがいらなかったら、誰かが捨てちゃうわけだし。その時は、もう自分はいないから関係ないし。
ということで、そんなことを思った今日なのでした。
私の神様、チバユウスケが一日でも早く良くなることを祈ります。
(マサムネも長生きしてね)