エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

「くら寿司」でカサンドラ乙女

世間はゴールデンウィークムード。しかし私は今日からしばらく仕事の日々が続きそうだ。連休中、1日か2日くらいは出かけられるだろうか。

だけど全然やる気が出ないので今日もとりあえずパソコンの前でこんなものを書いている。

くら寿司」にて

昨日は久しぶりに会う10年以上付き合いのある友達が、「お寿司が食べたいけどくら寿司に行ったことがない」というので、「私アプリあるから予約するよ」ということで「くら寿司」に行った。どうでもいいけど後になってから実は2人とも本当は「はま寿司」派であることが判明した。

そして私が早々に「ほたるいか沖漬け」を頼んでいたら「江戸さんお酒飲まないのに酒飲みが好きそうなの食べるよね~」と笑われた。そんな彼女も光り物ばかり頼んでいて面白かった。

で、お寿司を食べながら「ここのくら寿司、この間旦那も一緒に来たんだよね」と私が言ったら、彼女は驚き、「一緒にご飯食べたりするの?何か話したりするの?」と興味津々そうだった。もちろんその時は子どもたちも一緒で、夫(仮)がグループ会社に転職することになったので、一応そのお祝いということでやってきたのだった。

「事務的な話くらいしかしないけどね。まぁ最低限の会話は普通にするよ」と私は言った。

友達は「顔も見たくないとか、子どもたちとも会わせたくないっていう人も結構多いけど、江戸さんとこは特殊だよね」みたいなことを言っていた。

確かにそうかもしれない。そんな話はよく聞くし、実際私も別居前は顔も見たくなかった(まぁ別に今も見たくはないが)。こんなことを書くとドン引きされるかもしれないが、とにかく「死んでくれ」「この世から消えてくれ」と思っていた。

カサンドラ症候群の話

以前にも書いたかもしれないが、私は夫のアルコール依存(本人は否認)が大きなきっかけとなって別居に至ったわけだが、これまでにアルコール依存症の家族会みたいなのに通って勉強したり、本を読んだり、カウンセリングに通ったりとかまぁそれなりに色々なことをやってきた。

今となっては、彼がアルコールに依存することになってしまったのにはそれなりの理由というか、単なる酒飲みということで片づけられることではなく、その奥に彼なりの心の問題を抱えているんだと思っている。だからって「一緒に頑張ってやり直そうね」とかは一切思わないし、私には私の人生があるし今は今でいいと思っている。そこは本人が自分と向き合うようになるしか道はないのではないのかなと考えている。

話がそれてしまったが、「カサンドラ症候群」という言葉をご存じだろうか。どういうものかに関してはネットで調べてもらえればめちゃくちゃいっぱい情報が出てくるのでなんとなく理解していただけると思うが、私なりの解釈でいうと「主に家族や職場の人など、ごく身近な人と精神面でのコミュニケーションがスムーズにとれない、そしてそのせいで周囲の人が病む」といったイメージである。

カサンドラ症候群については精神科医岡田尊司先生が書かれている本が読みやすかったので、「うちってそうかも…」みたいな方がいらっしゃればぜひご一読いただきたい。

私はこの本を読んで、多分私ってこれなんだろうなと思った。夫(仮)がアスペルガーかどうかは私の知るところではないが、「精神的なコミュニケーションがとれない」というのは、思い起こせばずっとそうだった。

夫(仮)は一見私の話を聞いているようではあるが、それに対しての自分の意見がほとんどない。「うんうん、そうだね」と聞きはするのだが、それで終わりなのだ。それに対する自分の考えなどを話すことはない。

そして、「これやって」と私に言われたことはきちんとこなす。だから周りから見れば「なんでもやってくれる優しい旦那さん」なのだ。

しかし、自分から自発的に何かをするということはない。例えば私が先日鬱状態だったときも、「もう何もできん。子供の世話とか無理かもしれん」と言っても「俺は何すればいい?」といった具合である。

このニュアンス、伝わるだろうか。

くら寿司」で友達にこの話をしたら「でもさ、江戸さんて結婚前に同棲してたよね?その時から思うことってあった?」と聞かれた。たしかに私は結婚前、2年くらい夫(仮)と同棲をしていた。でも多分その頃は恋人気分で浮かれてたところもあったし、そもそもそんな深刻な話をするような局面にもなかったんだと思う。

本当は話したかったし、話したい

局面が変わったのは、間違いなく子供が生まれてからだろう。長男の妊娠時には妊娠した状態を続けながら卵巣嚢腫の摘出手術をし、長女の時には出産前から心疾患が見つかり、長女が生まれてからは治療と発達の遅れの問題もあり、私たち家族というか夫婦はだいぶ色々な問題に直面した。

でも、その中でも夫(仮)はやはり多くを語らなかった。例えばドクターからの説明の後、そのことについてとか、これからのこととか、じっくり時間をかけて話合うことって全然なかった。夫(仮)がドクターに頓珍漢な質問をしていたことなども思い出される。

子どもの病気や発達のことだけではなく、育て方とか、まぁ色々、子どもが小学生になるくらいまで本当に地獄の毎日だった。思い出したくない。

今思えばあの地獄の頃に、もっと夫(仮)といろいろなことを話し合えていたのなら、きっと違う今があったのだろう。夫(仮)も酒をクローゼットに隠したり、大量の空き缶をリュックに隠し持ったりするまでにはならなかっただろう。

で、だからなんだって話なのだが、まぁ時間が経つと見えてくることってあるなーと思う。私は、地獄時代、「なんでわかってくれないの!」ってずっと思っていたけど、一歩引いて、自分のことを以前より客観的に見られるようになってからはずいぶん受け止め方に変化があらわれてきたように思う。

今思うのは、誰でもいいから、ちゃんと自分のことを話せる人、何かあったときに、しっかり話し合いができる人が欲しいということ、それだけだ。

私は常に孤独を感じていて、安心できる場所がないけど、きっとそういう人が現れたら、私はそこに安心して身を置けるようになるのではないだろうか。

そんな話を「くら寿司」でしていたら「江戸さんて、結構乙女だよね」と友達に言われてしまった。

あらやだ、私って乙女なの?来月42歳のBBAだけど。

結局今日もよくわからない話になってしまったが、「くら寿司」であがりをすすりながら私はそんなことを考えていたのだった。