今日の仕事を終え、コーヒーを片手にたこせんべいを食べながらこの記事を書いている。
書き終えたのにまた書く。
こっちの書くは楽しいんだけど、あっち(仕事)の書くは本当に戦いだ。
なんとなく、いつも仕事の記事を書き終えた時にはあるイメージが脳裏をかすめる。それは、竹林を歩くさすらいの武士が、すれ違いざまに相手を斬ってそのまま歩みを進めるようなイメージである。さすらいの武士はもちろん私だ。
とにかく、なんかそんな感じで、向こうから歩いてきた人を斬って倒すというイメージで仕事をしている。実際にはそんな恰好の良いものではないが、毎回毎回、一人ずつ倒していくイメージで仕事をしている。
……と、そんな話はどうでもよくて、今日は仕事も終わったしなんか最近思うことをまたゆるく書いていこうと思う。
本能を無視してはいないか
前からちょいちょい書いていると思うが、私はニュースを見聞きするのが好きだ。事件とか事故とか、たまにはほのぼの動物系とか自然現象とか、なんかそいう現実に起こっていることを知るのが好きなのだ。で、まぁそんなだから毎日ニュースやワイドショーは何かしら見ているのだが、そこでなんとなく最近気になっていることは、「本能を無視しがち」ということ。
例えば最近ならS末R子さんの不倫の話とかも含まれるのだが、特に気になるのは「少子化」からの「お金のことが不安で子どもが作れない」みたいな話だ。
たしかに子どもを育てるのはお金がかかる。間違いない。
お金が用意できる自信がないから子供を作るのをためらうとか、1人しか産めないとか、言ってることはすごくわかる。こんな社会情勢の中で実際に心配になるのは当たり前だ。産めばどうにかはなるだろうけど、良い形でどうにかなるとは言い難い。
ただ、私はそういう声を聞くたびに思うのだ「本能を無視してない?」と。
色々な不安がノイズになって本能という声をかき消してしまっているのではないかと。
私の場合
私には息子と娘の2人の子どもがいるが、なんとなく結婚してからの1年間は夫(仮)との生活を楽しみたい的な、海外旅行とか行っときたい的な感じで、子どもを作る気はなかった。自然に任せるとかでもなく、1年は子どもは作らないと決めていた。
というか、そもそも私はどちらかというと子どもが嫌いな方で、子どもの頃から子どもが好きじゃなかった。赤ちゃんが可愛いなんて思ったことは一度もなかった。ひどい話、なんか面倒くさい存在くらいに思っていた。
自分が3人兄妹の末っ子だったから、自分より年下の子の扱いとかわからないし、なんかとにかく面倒くさいイメージがあった。今でも自分の子どもは別として、子どもなら無条件にかわいいとかも思わない(ごめんなさい)。
なので、結婚して1年間は子どもは作らないとは決めていたものの、そのあとは絶対に子どもが欲しいとかでもなかった。まぁ、子どもができたらできたらできたで育てるんだろうな、みたいな、そんな緩いイメージしかなかった。
しかし、それがなぜか、結婚してちょうど1年経ったあたりから、「子どもが欲しい!」という私の内なる何かが疼き出したのである。別に子どもが好きでもないのに、である。
私はそのとき、自分が動物であることを改めて、いや、初めてといっていいくらい認識した。年齢的なものなのか、生活環境的なものなのか、何かをきっかけに「子孫を残せ」って、プログラムされているのが発動したと確かに感じたのだ。
そんなわけで、ちょっと生々しい話、1年経ったし子どもを作ってもいいかもねみたいな感じになったわけだが、さらにぶっちゃけると、そういう雰囲気になって多分1回目か2回目で私は妊娠した。プログラムは極めて正常に作動したということになる。
なお、私は自分に兄妹がいてよかったと思うことの方が多かったので、どうせ子どもを作るのであれば2人がいいと最初から思っていた。3人兄妹で散々「金がかかる」と言われ続けて育ち、だったら私を生んでくれるなよとずっと思っていたため、子どもは2人でいいと強く思っていた。
で、長男が生まれ、ちょうど1年が過ぎた頃、再び私の中の本能が動き出したのだった。「もう一人産め」というプログラムが発動した。また来たと思った。
再びぶっちゃけると、娘は2人目を作ってもいいかもねという話をしてから1回で妊娠した。なんと無駄のないプログラムだろう。自分でもびっくりだった。まぁそこからがめちゃくちゃ大変なことになるのだが……。
このままでいいのか
ここまで書いて、何が言いたいのかというと、つまり、人も動物、いきものの一種なわけで、でも人は脳が非常に発達しているがゆえに本能を抑えつけるパワーもあるわけで、そこのバランスってすごく難しくて、なぜ神様はこんな難しくてややこしいことにしちゃったのかなと思うのである。
中途半端に本能が残っているが故に、やけに脳が発達しているが故に、アンバランスな状態になっている気がするのだ。
ただ、なんとなくだけど、今の私たちって脳の方というか、色々な情報とか、それに付随して色々考えちゃうことの割合が多すぎて、本能の方がないがしろにされすぎてはいないだろうか。
子どもを産むこともそうだし、人を好きになることもそうだし、食べること、寝ること、その他もろもろ、もっと本能が尊重されていいような気がするのだ。
なんか本能っていうとちょっと野蛮なイメージもあるかもしれないけど、いきものとして純粋に、真っ当に生きるのであれば、本能はもっと大事にされてもいいと思う。
H末R子さんのことを擁護するわけではないけども、いきものとしてもうちょっと正直に生きてもいいのではないかと思うのだ。
「ま、本能だから仕方ないよね」「ま、プログラム発動したから仕方ないよね」みたいな、もうちょっとユルい感じの世の中になったらいいな、だったらみんなもっと優しくなって、生きやすくなるんじゃないの?なんて思う今日この頃なのである。
あぁ、今日もよくわからないことをダラダラと書いてしまった。
とりあえず、そうですね、どうせいきものとして生きてるなら、自分も含め、自分の内なるものになるべく素直に従って生きたいものですね。
はい、今日はここまで、では、また。