エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

男運はないけれど…

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子どもの頃から一番好きな絵本。仲間と旅に出るお話

昨日酷い記事を書いてしまったことを後悔している。

後から読み返しても、全然伝える気のない文章すぎて文筆業で稼いでいる身としては恥ずかしい限りである。

ただ、昨日はかなり凹んでいた。そして、あれから寝たけど朝起きてもやっぱり凹んでいた。

なので、午前中だけではあったが、昨日から子どもたちの学校が始まったので、子どもたちを送ったあと、掃除も洗濯もせずにカブトムシクッションとクワガタクッションを下敷きにしてテレビもつけっぱなしでボーっとしていた(そしてちょっと寝ていた)。

人の話を聞くこと

人の話をちゃんと聞くことの大切さを知った、というか、「人の話を聞くことって大切なんだ」と教わったのは小学校5年生くらいの時だったと思う。

道徳だったか社会だったかは忘れたが、ある日「湾岸戦争に日本が多国籍軍として参加するのはアリかナシか」みたいな議題で、当時はディベートなんて言葉は普及していなかったが、今でいうディベートみたいな授業があったのだ。ちなみに私が通っていたのは田舎の普通の公立小学校である。

で、私は「アリ」の方のグループに入った。理由は「日本はアメリカと安保条約を結んでて、他の国は多国籍軍として参加するのにそこで日本が参加しないのはおかしい」みたいな感じだったと思う。何の迷いもなく、絶対「アリ」だと思っていた。

しかし、「ナシ」のグループの意見は「日本が参加したら日本人が戦争で死ぬかもしれないから参加はよくない」「戦争には参加せずお金で援助するのはどうか」みたいな感じで、私はその時、「そいういう考え方もあるのか!」と衝撃を受けたのだった。

そして、そこで「人の話を聞くことって大切なんだ」ということを強く思ったのである。

話す、そして聞く

そんなこともあり、私は決して友達が多い方ではなかったが、わりと子どもの頃からいつも悩みがあるときはその都度誰かに話し、その誰かの意見を聞いて、考えることで物事を解決してきた。それは時に親友であったり、母親であったり、姉であったりした。

で、今回もやはり、詳しい内容はここには書けないが、あるモヤモヤについて数名の友達にLINEをした。そのうち2人は明日(つまり今日)会う予定の友達である。明日には会えるというのに今日相談をする。このように思い立ったら待てないのが私のよくないところである。

同じ件で前日にも他の友達に話を聞いてもらっていたのだが、やはり湾岸戦争の時と同じで、友達によって微妙に捉え方が違ったり、問題に対するアプローチの提案が違っていて、非常に興味深いし、みんな微妙に違ってるんだけど、どれも納得できる部分があるし、実は友達も同じような経験をしていたことがわかったりもするのだ。

そして何より、皆ちゃんと私の話を聞いてくれる。本当にありがたいことである。

愉快な仲間たち

で、昨日の友達とのやりとりの中で出てきた面白い、というかためになる話は、空海&般若心経&高野山マニアの友人が教えてくれた「あらゆるものは空である」という考え方についてだった。

詳細については「般若心経 空」とかで調べてくると出てくると思うが、その友人から教えてもらった話の中で特にいいなと思ったのは「あらゆる存在は変化していて、今はこの状態として存在しているだけのこと」みたいな考え方、「その苦しみも、自分の作り上げた概念なだけやで、そもそも苦しみなんてないんやで」的な考え方である。

もちろん私が相談して即この話が出てきたわけではなく、私の「◯◯すべきか、それとも△△すべきか」みたいな問題提起に対して、彼女やもう一人の友人(健康オタク)の客観的意見を聞かせてもらった上での流れでの↑なのだが、「そう考えるとちょっと楽になれるよね」的な感じで、本当にいい話を聞かせてもらったと思った。

そして健康オタクの友達が、「私の慢性腰痛も脳が作り上げた概念」みたいな話をしはじめ、「みんな空や!空でいこうぜ!」みたいなオチになり終わるのであった。

全ての友達とこんな話を毎回しているわけではないが、わりと最終的にこういう感じの話になることは少なくない。

きっと平日の昼間、ちょっとオシャレなレストランで一見くっちゃべっているだけに見えるおばさんたちも、実はワイドショーネタのような話だけではなく、こんな話もしていたりするんだろうなと思う(多分ね)。

男運はないけれど…

そう、私は男運がない。男運がないというより、人選を間違えているんだと思う。

これまで付き合った人、結婚した夫(仮)、彼らは多分世間一般的に見れば「とんでもねぇやつ!」ってほどの人たちではないと思うのだが、私がミスっているのだ。

基本的なパターンとしては、最初はわりと頼りにしていたのに気づいたら私の方が頼られている。私の方が強くなっている、というか、気付いたら男の方がめっちゃ弱くなっていて「もう何なん!」みたいになるパターンである。最近では実は単純に私がモラハラ女なのではないかとすら思うようになってきた。

そんな話はどうでもいい。そう、私は男運はないが、女運はあるのだ。友達に関してはかなりの確率で人選を間違えていない。だいたい最初の方に「友達になれそう」って思った人とはその後本当に仲良くなれる。「うわ~地雷~」みたいなことはほぼない(察知した瞬間に逃げてるところはある)。

学生時代はそんなに女友達は多くなかったが、大人になってからの方が、すごく友達に恵まれているなと思う。友達というカテゴリで考えると、それは女性だけではなく男性もだ。たまにしか連絡をとらなかったりはするけど、気付けば長い付き合いになっていることが多い。

私には何ができるか

なぜ大人になってからの方が友達(というか出会う人)に恵まれていると思うのか。

まずひとつは、本当に説明のしようがないのだが、私の直感的なものだ。

次は多分、よく「甲本ヒロトの名言」的な感じでネット記事とかに載ってる「偶然その時一緒に山手線に乗ってただけなのに友達になれって言われるのと同じ」みたいな感じの逆を行ってるからだと思う。

つまり、その時々でわりと自分のやりたいことをやってきているから、自然と大人になってからの方が自分にとって面白い人や、気が合う人と巡り合えるんだと思う。

あとは、これも本当によくわからないけどいつも絶妙なタイミングでその時に自分のことを助けてくれる人が現れるのだ。

そして今思うのは、昨日の友人たちのように、自分の悩みに対して一緒に考えてくれたり、新しい気づきをくれたり、面白い話をしてくれたりする友達に対して私は何ができるのか、ということである。

なんだかいつも誰かからプレゼントをもらってばかりのようで、お返しのようにプレゼントを渡すことができていない気がしてならないのだ。

私も、私のそばにいてくれる友人たちのように、何かを与えられるような存在になりたいと思う。

ひとまず、今日会う昨日LINEをしたばかりの2人の友人には、「いつもありがとう」と心の底からのお礼の言葉を伝えたい。