エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

時間・心・お金

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今日はいいことが2つとあまりよくないことが1つあった。

いいことの1つめは、スノーボード男子ハーフパイプで平野歩夢選手が予選1位で決勝に進出したこと。

いいことの2つめは、委員会の用事で小学校に行ったら、お友達(娘の友達のお母さん)に「顔が小さい人といえば…と思って持って来たの!良かったら使って!」と言って1枚だけ使ったきりの「小さめサイズ」のマスクを袋ごともらったこと。顔が小さいというのは子どもの頃からたまに言われるのだが、正直それで得したと思ったことはこれまで特になかった。そもそもなぜ顔が小さいことが良しとされているのかも未だによく理解できていない。しかし、今日初めて得をした気がした。ちなみにそのお友達も別に顔が大きいわけではないのだが、小さめマスクは5分で耳が痛くなったらしい。

で、よくないことは、息子のクラスも学級閉鎖になってしまったこと。幸いにも土曜日までなので明日1日だけ家でオンライン授業をすれば済みそうなのだが、習い事などのスケジュール調整で今日はなんだかバタバタしてしまった。

ということで、今日はあまり時間がないので手短にまとめようと思う。

無意識にある何かへ

ちょいちょいここにも書いている↓と思うが、私は2年ほど前からカウンセリングに通っている。

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当初は夫(仮)との関係の問題解決のために通っていたが、今はもう夫(仮)とのことではなく、自分のことのために通っている感じだ。

で、昨日は約1ヶ月ぶりにカウンセリングに行ったのだが、そこで担当の心理士さんから「精神分析的心理療法」というものをやってみてもいいかもしれない、というお話をいただいた。私もどこかでチラッと説明を読んだことはあったものの、ちゃんと調べたのは昨日が初めてだったのでまだ理解が浅いのだが、精神分析的心理療法とは、以下のような心理療法のことらしい(個人的に下記の説明はかなり端折っている気がするが)。

精神分析的心理療法とは、フロイトが創始した「精神分析」を基本として、クライエントの問題や時間、場所などの条件にあわせて行う心理療法です。現在の日本では、1週間に1回、45分から50分の時間をとって対面式で面接をするのが最も一般的なやり方です。

精神を分析するというと、セラピストがクライエントのこころを一方的に分析するというイメージがありますが、実際にはクライエントが自分のこころに率直に向き合ってそれをことばにするという作業にセラピストが同行する、というイメージの方が近いと思われます。

対象となるのは従来の神経症(最近は不安障害・解離性障害・表現性障害などとよばれますが…)や対人関係の問題を抱えた方が中心です。症状というものが面接を受ける方の今までの生き方と密接に結びついている、という考えのもとに面接が進められますので、ある程度の時間と手間がかかります。

根気よく自分に向き合ってみようという方にお勧めします。 

引用:一般社団法人 日本臨床心理学会「臨床心理士の面接療法/精神分析的心理療法

で、なんでそんな話になったかというと、根気よく読んでくださっている方もいるかもしれないが、私がこのブログで連載している「あぶくの家」シリーズ↓を書いているうちに、今の私がかなり自分の成育環境に影響を受けていることに気づいた、といった話を心理士さんにしたからである。

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詳しいことはまた後日アップするであろう同シリーズの記事に書きたいと思うが、私は子どもの頃から長生きしたいという願望が全くなく、今でもあと10年、長くてもあと15年くらいで死んでいいかなと思っているのだ。死んでいいというよりは、むしろ長生きしたくないと思っている方が正しいかもしれない。60歳でも長すぎると思っている。

そして、そういった考えのもとになっているのが、自分の成育環境なのではないかと最近強く感じているのだ。

さらにそれは私が常に抱えている生きづらさや自己肯定感の低さにも影響している気がして、そうしたことから、心理士さんは上記の心理療法の提案をしてくださったのだと思っている。

時間・心・お金、のバランス

上述の提案についてはあくまでもひとつの選択肢であり、別の案もあるというか、必ずその心理療法を受けなければどうこうというわけではないのだが、「それで何かが良い方へ変わるなら」という気持ちはやはりある。確実にある。

ただ、だからといって「今の自分には絶対これが必要だ!」というほど今の自分に困っているわけでもなく、夫(仮)とのことでカウンセリングに行った時のように藁をもすがる気持ちでもないというのも事実だ。

そして、上述の説明のとおり、やはりこの心理療法を受けるには時間とお金がかかるのだ。まぁお金については、毎月1人分の給食費程度だったカウンセリング料が毎月2人分の児童手当分くらいになる感じなので、自己投資だと考えればたいしたことない額ではあるが、とはいえ児童手当が丸ごと消えると考えると結構な出費である。

それよりも問題なのは、毎週決まった時間を確保し、それに年単位で取り組む…果たしてそんな時間がちゃんととれるのか?というところだ。毎日こんなうだつの上がらないブログを書いているので暇だと思われているかもしれないが、実はそうでもなかったりするのだ。しかも春からはPTAの役員をしなければならないので、今よりさらに忙しくなりそうだし、かといってほぼシングルマザー生活なので、それなりに仕事もしないといけないし、そうなると毎週穴が開くのか…うーん…といった感じである。

時間、心、お金…まぁお金が優先ということはまずないが、うまくバランスをとりたいし、どうするか非常に悩んでいる。他にも方法はあるのかもしれないし、別に結論を急ぐ必要は全くないので、調べて、悩んで、ほかの人に話を聞いたりしてひとまずの答えを出せば良いのだが。

同時に

それと同時に、このような心理療法を受けたいと思っていても、きっと私と同じように時間やお金など生活との兼ね合いで断念している人もかなりいると思う。私なんかはそこまで深刻じゃない(と自分では思っている)が、もっとこの心理療法を必要とする人であっても、同じような理由で諦め、そして苦しんでいる人がいるのではないだろうか。実際に、昨日この心理療法について調べていた時にそういった意見が書かれているのも見たので、あながちこの推察は間違ってはいないと思う。

娘のことで療育関係の場所に行ったり、カウンセリングに通うようになってからというもの、自分自身もそれなりに問題というか悩みを抱えてはいるのだが、私は、なぜか自分以外の同じような、もしくはそれ以上に苦しんでいるであろうどこかの誰かさんのことが気になって仕方がないのだ。おそらく昨日書いた記事のこともここに繋がっているような気がする。

他人のことを心配している場合ではないのかもしれないが、なぜか気になって、さらには助けてあげたい、どうにかしてあげたい、などと思ってしまうのである。これは一体なんなんだろう。他人を救うことで自分も救われようとしているのだろうか。

ということで、結局長くなってしまったが、この件に関しては引き続き悩みたいと思う。