エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

歴史は繰り返す

f:id:edoandlee:20220322162346j:plainめちゃくちゃ寒くて手がかじかんだまま解凍されない&電力がひっ迫しているらしいので今日は手短に…(いいわけ)。

カウンセリングにて

今日は私がかれこれ2年くらい通っているカウンセリングの日だった。

ちなみにもう心療内科には通っていないのだが、私が通っているカウンセリングと心療内科についての話はこちら↓などをご参考いただければと思う。

以前どこかにも書いたが、カウンセリングに通い始めたきっかけは夫(仮)との関係について悩んでいたことをどうにかしたかったからだった。しかし、その件は結果的に別居という形で一旦落ちついてきたため、これからは私の生い立ちなどから自分自身の生きづらさとかの原因を紐解いていく…的なことがカウンセリングの目的となった。

なお、その目的が生まれるきっかけになったのはこのブログも関係している。私が「あぶくの家」という成育史のようなもの↓を書き始めたことによって、自分がこれまでわかっているようでわかっていなかった問題が浮き彫りになったのだ。

つまりは、自分の生まれ育ってきた環境が今の自分、いや、これまでもずっと自分が抱えてきた生きづらさのようなものと関係しているということである。育ってきた環境が人格形成に関係するなんてことはよく考えれば(よく考えなくても)当たり前のことなのだが、私は自分が生まれ育った環境がそこまで自分に影響しているとは思っていなかった。「こんな過去があった、以上」とか「あんな親だった、以上」みたいな、完全に過去のものとして今の自分と切り離して考えていたつもりだったのだ。しかし、実際は全くそんなことはなく、めちゃくちゃ地続きになっていたのである。

欠落している感情と「あぶくの家」

で、今日カウンセリングで心理士さんと話していて徐々に見えてきたことは、私にはある感情がなく、正確に言えばある感情が本当はあるのだが表面化しておらず、それに伴って行動にも移せない、移し方がわからないということである。

そして、この件については、心理士さんの助言により、カウンセリングなどにより様々な問題が解決(あるいはそのような方向)に向かってからブログに書くことになった。書くことになった、というとまるで書かないといけないみたいだが、書くかどうかは正直わからないのだけれど、書くとしたらもっと先になる、ということだ。

したがって「あぶくの家」の続編についてもおそらく書くのであればずっと先になるだろう。読んでくださっている方もわりといらっしゃるようなのに申し訳ないのだが…。

歴史を繰り返す恐怖

で、前の話に戻るが、私の欠落している感情がなぜ欠落しているのかというと、それはおそらく子どもの頃にその感情が育まれていないからである。成長が止まってしまっているといった方が適当かもしれない。

そして、そんな私が子どもを育てるわけだから、当然自分の子どもたちにもその影響は及ぶのだ。本来与えるであろう感情がないまま、その感情がある人たちの真似をなんとなくしながら、どうにかこうにかやっている状態である。

すなわちそれは私にとって恐怖である。子どもに与えるべきものが自分のせいで与えられないのだから。

ただ、心理士さんはそのことについて、自分を責めることではないと言ってくれた。わからないのだからできないのは当たり前だと。

カウンセリングは受けなくても生きていけるものだし、むしろ日本では受けていない人の方が多いだろう。

しかし私は、きっかけは夫(仮)のことであれ、本当に受けてよかったと思っている。というのも、カウンセリングを受けなければ、私は一生大切なことというか、自分が抱えている問題にすら気付かずに、ただひたすら悶々と苦しみながら生きていたからである。また、自分に欠落しているものにも目を向けないまま、それを自分の子どもたちにも受け継いでしまうところだったからだ(受け継いでしまうかもしれないが)。

カウンセリングを続けることで欠落した感情が取り戻せるのかは今の段階ではまだわからないし、今は「こんな私が子どもたちを育てて良いのだろうか」と、子どもたちには申し訳ない気持ちでいっぱいである。

しかし、同じ過ち、というかエラーをこれ以上歴史を繰り返さないように最大限の努力はしたいと思っている。子どもたちには私と同じような道は歩んで欲しくないのだ。

非常に抽象的な話で申し訳ないが、今日はそんなことがあった。

当事者が正面から向き合うことをしなければ、歴史は繰り返されていく。