エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

受け止めるということ

昨日もまた、いつもの心理さんのところへ行ってきた。

前提として、心理士さんとの時間は、自分自身の問題というか、生き辛さの根底にあるものを見つめ、前へと進むために設けられている時間である。設けられているというか、それなりの料金を私が支払い時間を作ってもらっている。

問いと応答

昨日は、単純に出来事を話すというわけではなく、あくまでも自分のなかにある問題に繋がることを前提として、先日ここ↓に書いた子どものことや、その後に起こった子どものことなどについて話した。

edoandlee.hatenablog.com

私は、次のようなことを心理士さんに話した。

  • 子どもが嘘をつくのは私に怒られたくないからではないか、つまり私がそのような状況を作り上げてしまっているのではないか
  • 夫(仮)が「息子が(テストなどで)できなかったことについて他責するのが気になる」と言っていたのだが、それは私のせいではないのか
  • 自分が今自分自身の成育過程の影響で苦しんでいることを思うと、子どもにもまた同じ苦しみを植え付けてしまうのではないかと思い辛くなり、死にたくなる
  • 子育てに関する情報を得たり、他人の子育ての様子を見ると、自分の子育てが全てよくないもののように思えてきてしまう
  • 子どもに現れる「よくないこと」は全て自分のせいに思える

これに対し、心理士さんはおおよそ次のようなことを言っていた。

  • 今からでも決して手遅れなどではない
  • 私が感じていること(悩み)について、全く気付いてないままの人もいる
  • 私に見えているのはごく断片的なもので、他の人が順調な子育てをしているかなどわからない
  • 完璧な子育てのもと何一つ傷つかずに大人になる人などいない
  • 完璧な親などいない

今からでも決して手遅れではないことに少し安堵し、また、心理士さんの言うことはたしかにそうだと思った。そして、私がいつも追い詰められてしまうことには、私自身の特性でもあり欠点でもある完璧主義的なところがやはり関係しているのだろうと思った。また、この心理士さんの言葉により、私の頭の中には「受け止める」という言葉が浮かんだ。

憎しみの行方

話が断片的になってしまうが、前述の話の過程で、心理士さんと私は、私が今これまでのことを振り返っている過程で、それまでここまで強くなかった親に対する憎しみや恨みの気持ちがどんどん強くなっていることを再確認した。

人によってはこのことに対して「親のことを悪く言うなんて」「育ててもらったのに」「考えが浅はかだ」などといった感想を持つだろう。それは、そう感じる人もいるだろう、と私は思う。そして、今はそのような感想を持つ人がいても私には関係ない話だと思ってもいる。

さらに、私は自分にこの親を恨む気持ち、死ぬまでに一度は面と向かって謝って欲しいと思う気持ちがあると認識していると同時に、この気持ちは過程にすぎないとも感じている。言うなれば、体内にある毒素が体外へ排出されようとして、一時的に吹き出物が出来ているような状態だろうか。

このことに対し、心理士さんは「ご両親が(私の考えや思いについて)気付くことはおそらくないでしょう」というようなことを言った。これについても私は同意したし、「謝れ」と思う気持ちの一方で、仮に謝られたとしても問題は解消することはないだろうとも思っている。

また、心理士さんはこのことについて、時間はかかるかもしれないし、何によってどのように変化していくかは現時点ではわからないが、いつか自分で心に負っている傷や恨む気持ちを引き受けられるようになるだろうと言っていた。

今の私には皆目見当もつかないことではあるが、実際に私の周りというか、何らかの傷を負った人がそのことを「受け入れる」「受け止める」といった表現を用いて前を向いている話はよく聞くため、おそらくいつか私も何らかの過程を経てそういうステージに立てるようになるのだろうと思っている。

今までとの違い

まだほんの少しではあるが、私は少しずつ自分自身に目を向けられるようになっている気がしている。というか、自分の心はあくまでも主観という範疇から抜け出せはしないのだが、その中でも客観視できるようになりつつある気がする。

これまでは親、特に父に対して「あの人はドクズだ」といったことは度々公言してきているが、そう言いながらも「親に対してそのような考えを持つ自分は駄目な人間なんだろう」という気持ちもあった。しかし、今はあまり、というか、ほぼそのようなことは思わない。「自分は今こういう気持ちなんだ」と、ただ漠然と感じている、ただそれだけの状態だ。

この傾向は他の場面でも感じるようになってきている。誰かが投げかけてくる言葉や、誰かの様子を見た際に、以前よりも冷静というか「引き」の目線で見るようになっている気がする。

こういったことを繰り返していくことによって、私は自分が負ってきた傷や自分の中にある闇を受け入れられるようになるのだろうか。

昨日はその他にも色々なことを話し、考えた。またその他のことについてもここに書き留められればと思う。

(読まれている方にとっては全く抽象的な話で意味不明な内容だっと思います。申し訳ございません…)