エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

あえて書く

今日締め切りの仕事があるので本当はこんなの書いている暇などないのだけれど、日付が変わると熱量が奪われそうなので今書いてしまう。

私は基本的に近年の「ちょっとなんか失言しただけで執拗に叩かれる」みたいな風潮とか、ネットの投稿に対して執拗に叩いてくる奴とかが嫌いだ(仕事で自分の記事が炎上した経験も踏まえ…)。

一方、それらはその人の自由だし、どう感じようともその人の自由、人それぞれいろんな考え方があるから、要は自分が嫌ならスルーすりゃいいだけの話だとも思う。

でも、なんかモヤモヤ…ていうか、はっきり言って嫌だなと思うこともある。スルーすりゃいいだけの話だけど、あえて書いておきたいと思うことがある。

それは、障害のある人、身体的、精神的、発達障害のある人もそうだけど、なんか、そういう人たちに対しての差別的…といったらそれもまた違う気がするんだけど、完全に「自分は違うからよかった」「自分はそうじゃないのが当たり前です」みたいな目線での発言だ。

自分の中で勝手にそう思うのはいいけど、わざわざ自分以外の人に聞こえる・見える状態でその考えを発信する必要はないと思う。

理由は、自分の世界の中にそれらに該当する人がいると全く捉え方が異なる上に、仮に「人それぞれ」と頭ではわかっていたとしても、心はすごく傷つけられるからだ。

赤ちゃんが皆元気に生まれるのは当たり前のことじゃないし、身体や精神に障害を持つことは全然イレギュラーなことじゃない。むしろ何かハードルがあることの方がデフォルトで、ないことの方がイレギュラーなことで、たまたま今その世界と偶然接してないだけだと思う。

こういうことを書くと偽善者だと思われるかもしれないけど、偽善者でも人を傷つけるよりはよっぽどマシだと思う。

優遇して欲しい、気遣ってほしいとかそういうことでもなくて、私も別に何か慈善事業をしているとかでもないけど、とりあえず言わないで欲しい。思うのは自由だけど言わないで欲しい。わざわざ声に出して、文字にして、言う必要があるのか考えて欲しい。

私がこのような考えを強く持つようになったのは、以前↓記事とかに書いたこともあるが、娘がお腹の中にいる時からお世話になっている神奈川県立こども医療センターに通うようになってからだ。

私はそこで色々な病気や障害のある子どもたちやその親御さんを目の当たりにして、すごく考え方が変わった。多分、それまでの私は完全に偽善者だったと思う。「差別はいけない」みたいなふりをしていただけで、そもそも深く考えることすらしていなかった。

この病院は誰でも行ける病院じゃないけど、なるべく多くの人がもしこの病院に足を運ぶことができたら、もっと温かい世界になるだろうといつも思っている。変な話だが、私はこの病院に行くのが大好きだ。丘の上にあるこの病院には、優しいだけじゃなく、悲しかったり辛かったりもあるけど、大切な何かがあると思っている。

最近こういう気持ちがワッと湧き上がっては静まり…を繰り返していて、今日もそう思うことがあったので勢いで書いてしまった。

もしこれを読んで不快に思う人がいても構わない。これが私の考えだ。

慈・善・事・業

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