エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

虐待ホットラインに神がいた話【前編】

最初に娘の発達について話をした時にもらったドクターからのメモ

1人が好きな寂しがりの私は、いまさらながらここ数ヶ月くらいでTwitterをよく使うようになった。それまではInstagramを使うことが多かったが、Twitterの方がそれぞれの切実な「伝えたいこと」がよくわかる気がしている。

その中で、発達障害精神障害の当事者やその家族など、様々な立場の人の言葉に触れる機会が増えたため、少しでも自分が過去に書いた記事が活かされればと思い、2021年10月に書いた記事をリライトすることにした。

今回の話は、療育センターなどからASD自閉スペクトラム症)傾向があるといわれている娘にまつわる話である。

途中、話がそれる部分も多々あるが、私と娘、いわゆるきょうだい児である息子にとって大きなターニングポイントになった話なので、もし似たような立場の方がいるのであれば読んでいただければと思う。

娘の心臓病

私には現在小学5年生の息子と小学3年生の娘がいる。

2020年の8月23日だかのだいぶ病んでる時のブログにも少し書いたが、娘は妊娠7ヶ月くらいの時のエコーで心臓に異常があることがわかり、急遽近所の産婦人科から、神奈川県立こども医療センターへ転院・出産することになった。

というのも、如何せん私のお腹越しにしか娘の心臓の様子がわからないので、産んでみないと心臓がどうなってるかわからないから、子ども病院で産んで、そのまますぐにNICUで様子をみる必要があったのだ。

実は私は息子を妊娠した時も妊娠発覚と同時に両方の卵巣に大きめの卵巣嚢腫が見つかり、大学病院で妊娠中に開腹手術をした経験があった。しかも取った腫瘍が境界悪性とかいうガン化するかもみたいなちょっと怪しいやつだったので、娘のことがわかった時も、結構「はいはいまたですか」「私ってそういう運命なのね」的な感じで、意外と落ち着いていた記憶がある。ちなみに身内に心疾患の人はいない。

そんなこんなでその数ヶ月後に娘は計画分娩で無事誕生し、でもやっぱり心疾患はあったので、NICU には1ヶ月近く入院した。なお、私はほぼ毎日1時間半くらいかけて病院に通っていたので、きっと更年期を過ぎるころには体はボロボロになっているだろう。

娘の病気は簡単に言うと心臓の形状のせいで肺に酸素が足りてなくて、普通の人より血中の酸素(SpO2)が結構足りないというものだった。ただ、本人はその状態で生まれてきて酸素少な目なのが普通で、酸素吸入をしなくても大丈夫そうだったので、生まれて1ヵ月後くらいには退院できた。

ただ、ずっとそのままだと大人になってから色々症状が出てくる可能性があるので、どこかのタイミングで手術はしましょうとのことだった。

で、成長を待ってみたり、薬を毎日飲んだりして心臓が自然に良くならないか様子見の状態が続いていたが、結局ずっと状態は変わらず、カテーテルで調べたら思ったより面倒な状態なことがわかったので、2020年、コロナ真っ盛りの夏、人工心肺を使って一度心臓を止めて手術をしたのだった。

本当に素晴らしいドクターの方々のおかげで娘はあっという間に良くなって、あんなに何年間も足繁く通ったこども医療センターへ行くのも今では年1回くらいのフォローでよくなった。

私にとっては本当にみんな優しくていいドクターばかりの病院で、いつか何かの形で働けたらいいなと思う。変な言い方だけど、私にとっては生きる力をもらえるような特別な場所なのだ。

そんなこともあり、ちょくちょく書いているが、私は生まれたら絶対に医師(外科医)になりたい。

なんか違う娘

そんなもともと病気持ちの娘だったわけだが、利発で健康すぎるある意味ヤバい息子と比べると、娘はもう1歳ぐらいから「あれ?」と思うことが頻発していた。

でも、心臓病もあるし、NICU に入っていた子は結構な割合でその後の発達もゆっくり、みたいな話を聞いていたので、そういうものなのかな、という感じで私も見守っていた。

「でも、やっぱり何か違う気がする」

同じくらいの歳の子はみんなお座りできるのに娘はできない。

同じくらいの歳の子はみんな言葉を話すのに娘は話さない。

親子教室みたいなのに行ってもなんか娘だけ色々遅い。

おとなしいのはいいけれど、息子の時となんか違う。

グレーな娘

ありがたいことに、こども医療センターではNICUにいた子を定期的にフォローしてくれるシステムがあったので、私は娘が2歳くらいになった時に「なんか発達が遅い気がする」ということをドクターに伝えた。

で、2歳3ヶ月で娘は発達検査を受けた。

その時の全体のIQは70で、その時はまだ小さいし様子見という感じだった気がする。

そして、その後3歳の誕生日後に受けた検査で娘の全体的なIQは83だった。

その時にドクターから説明を受けた時のメモが最初の画像である。

ちなみにそのドクターは結構有名な人らしく、私は本当に偶然テレビをつけたときに、NHKの番組にその先生が出ているのを見たことがある(そしてコウノドリのドラマのロケに来ていた綾野剛 とちゃっかり写真も撮っていた)。

そのドクターにその時言われたことはだいたいこんな感じだったと思う。

  • 知的障害ではないけど、平均よりはちょっと下の「境界知能」というやつかも
  • まだ小さいし今後伸びる可能性はあるけど、平均の上の方に行くことはおそらくない
  • 親がしっかりみてあげれば平均くらいにはなる可能性はある
  • 小学校の途中くらいから勉強についていけなくなるかも
  • 四則計算くらいできれば生きていけるから悲観することはない
  • 誰にだって大なり小なり発達に凸凹はある
  • この子の居場所を見つけて生きる術を身に付けて行くことが大切
  • この子はかわいいから大丈夫!(←毎回言われる)

その時、夫は結構ショックを受けていたような気がするが、私は不思議と「ほら、やっぱりね」って感じで、なんなら内心若干ドヤってるくらいの勢いだった。

特にショックを受けるわけでもなく、とりあえずやることやるしかないな、みたいな気持ちになっていたことを覚えている。

なお、その後こども医療センターは家から結構遠かったので、紹介状を書いてもらい、その後はわりと近所にある療育センターで娘は発達について診てもらえることになった。

IQはアップしたけど

特別めちゃくちゃ何かを頑張ったわけではないが、心理士の先生に接し方を教えてもらったり、ちょっとした指導を受けたり、息子が通っていた結構しつけ厳しめの幼稚園に娘も通ったりしたのがよかったのか、単なる成長なのか、5歳頃に受けた知能検査では、娘のIQは98にまでアップしていた。

そして、小学校は、どの学級に行くのがいいかを判断する通称「特総センター」というところに行ってみてもらい、普通級に行くことになり、今は普通級に元気に通っている。

なお、娘は特に診断名をつけられているわけではなく、「たしかにASD傾向はみられる」といういわゆる「グレーゾーン」的な扱いで、今もそのままである。

がしかし、このグレーな感じもそれはそれで苦しいのであった。

(中編へ続く)