前編でご紹介したとおり、私の娘は今のところ発達障害ともはっきり診断されない感じのいわゆる「グレーゾーン」という状態である。
心理士さんも「発達が凸凹なのは間違いないから…」と自然に話されていたのでやっぱりそうなんだろう。
ということで、なかなか神が降臨した話に辿り着かないのだが、神降臨の話をよりわかりやすく伝えたいので、前置きとなる話の続きを書くとしよう。
「そんな風には見えない」子ども
娘は見た目はごくごく普通の小学3年生の女の子だ(個人的には最近はかが屋の賀屋っぽいと思う)。
性格も温厚で、これまで誰かと特にトラブったこともないし、素直だし、こましゃくれた感じもなく、ちょっと欧米チックな明るさもあり、知り合い0人の状態で入学したものの、すぐに友達もできたみたいで、今のところは何の問題もない。
親の私が言うのもなんだが、屈託がないので、幼稚園でも小学校でも先生に可愛いがられてるようで、癒し系要素があるので、親戚や習い事などでも可愛がられている。
息子の幼児期が本当にやんちゃで怒鳴りまくりどつきまくり(そこまでどついてはない)の暗黒時代だったので、発達はゆっくりではあるものの、ある意味育てやすい子ではあった。
なので、私がいくら「実は発達が……」みたいな話をしても、幼稚園や学校の先生ですら「全然大丈夫ですよ!」みたいな感じだったし、今もそんな感じだ。
お友達のお母さんなどに話しても「え?全然そんな風に見えないよ!普通じゃない?」みたいな反応だし(それはそれで「普通に見える」という表現に実はグサッとくるものがあったりする)、私の母こそようやく何年もかけて現実を受け止めた感じだが、最初の頃は「大丈夫じゃない?」みたいな感じで、義理の母に至っては「違うでしょ?(断定)」みたいな感じだった。義理の母とはもう別居してから会うことはなくなったが、それまでも娘の発達のことは面倒くさいので説明すらしていない。
でも、やはり娘には本当に相当身近な人じゃないとわからない「やっぱりなんか変」なところが確実にあるのだ。
おそらく、それは私、息子、そして夫(仮)にしかわからない部分が多分にあると思う。
常につきまとう「違和感」
じゃあ何が問題なのか?何が変なのか?という話なのだが、これは療育の心理士さんにも話したことがあるのだが、宇宙人と会話しているような感覚になることが多々あるのだ。もっとわかりやすく言うと、インド料理屋とかで働いてる現地の人っぽい人と話す感じに似ているかもしれない。
「なんとなく通じてるけど、真っすぐに通じてない」みたいな感じ。
会話がフワフワしていて、「なんかめっちゃ話してくるけど、何言ってるのか全然わからない」みたいなこととかが日常的に起こるのだ。もちろん、何を言っているかわかるときもある。
他にも、小学校入学直後くらいのときの例で言うと、
- 7歳だけど、輪ゴムを見てそれを輪ゴムと言えない(名前を知らない)
- 7歳だけど、風車の絵をみてかざぐるまって書けない(名前を知らない)
- 7歳だけど、トンボをバッタって言う(名前を知らない)
- 7歳なら簡単に開封できるはずのおやつの袋とかが1時間かけても開けられない
- さっきまでめっちゃ親しげに同級生と喋ってたのに、名前を覚えていない
とか、もうとにかく伝わる人にしか伝わらないと思うけど、色々「なんか普通じゃない」のである。いわゆる定型発達と呼ばれる方に含まれる息子とは確実に違う違和感が娘にはあるのだ。
「違和感」のロジック
しかし、そんな娘から日々繰り出される数々の「違和感」には、あるひとつのロジック的なものがあることがこれまでの心理の検査からわかってきている。
それは、娘が「経験を通じて物事を覚える傾向がある」ということだ。
さっき挙げた全てのことに当てはまるわけではないが、娘はこれまで風車は近くにあってもそれに触れる経験がなかったので名前がわからないのだ。
おやつの袋も、開けた経験がないからどうしていいのかわからないのだ。
「勘」みたいなのがほとんどないと言ってもいいのかもしれない。
だが、逆にその分経験というか、日常的に触れているものについてはかなり詳細に覚えている、みたいなことも起こる。一度行った場所に置いてあったものとか、先生と一緒にやるダンスの振り付けとか、日常的に見る平仮名やニュースに出てくる漢字の読みとか…。
娘は「経験と繰り返し」によって形成されている部分が大きく、だからこそ「イレギュラーに弱い」という最大とも言える欠点があるのだ。
そして、その欠点がモロに出るのが食事だったのである。
長い地獄の始まり
冒頭の画像は、娘が2歳頃に区役所の親子教室(定期健診で遅れ気味の子が誘われる教室)に行った時に、私が保健師さんか誰かに宛てて書いていた手紙である。
手紙には「ここ1年ほど」と書いているので、おそらく娘が1歳過ぎたくらいから、私が「神の声」を聞く前、つまり娘が7歳になるまで、私は常に娘の食事のことで悩み続けてたということになる(まぁ今も悩んではいるが……)。
最初の方はどんな感じだったか詳しくは忘れたが、やはり「経験」が関係しているので、新しいものをなかなか食べないというのは基本で、
- 特定のメーカーの1種類のパンしか食べない
- マックのポテトはOKだけど、モスのポテトはNG
- 食べたことないものを「ちょっと食べてみな」みたいにしたら吐く
みたいなことは日常茶飯事。なので娘が確実に食べられるもの、なんとか食べられそうなものを探す、という生活が基本になっていった。
娘は3歳の時に1年間だけ横浜保育室という小規模な保育園に通っていたのだが、そこでも娘は10数人いる同年齢の子たちはモリモリ給食を食べているのに、一人だけ食べなかった。
食べるのは白いご飯くらいで、先生たちもすごい気を遣ってくれて、娘だけ気が散らないように先生と2人で別室で食べたりとか色々してくれていたけど、結局食事に関してはほぼ改善しないまま卒園した。
有難いことにその保育園ではブログに食事の風景とかをアップしてくれるのだが、毎回娘の皿にだけ食事がほぼ手つかずの状態で残っていたのを覚えている。
でも今思えばその頃はまだマシな方で、例えば私が作る夕飯のおかずとかは少しは食べていた。茶碗のご飯も味噌汁も食べていた。
だが、幼稚園くらいから事態はどんどん悪化していった。
作った食事を目の前で吐かれる地獄
幼稚園は給食で、普通に食べる時期もあったが、「今日ほとんど食べてません」「今週はずっと吐いていました」みたいなことが少しずつ起こるようになってきた。
そして家庭でも、食べ始めた途端に吐く、半分くらい食べてたのに途中で結局全部吐く、みたいなことが増え始めた。
娘が食べそうなものを選んで買ってきて、娘が好みそうなものを作っても食べない、あるいは吐く。
この間めちゃくちゃ食べてたから「これなら食べてくれる」と思って作っても食べない、あるいは吐く。
昨日まではそのパンしか、そのヨーグルトしか食べなかったのに、いきなり食べなくなる。
一緒にスーパーに行って、自分で「これが食べたい」って選んだのに食事の時間になったら食べない。
そんなことがどんどんどんどん増えていって、無論私も一人の人間なので、少しずつ少しずつ精神的に疲れていった。
保健師さんに相談したり、心臓の方でお世話になっている神奈川県立こども医療センターの偏食外来にも行って、言われたことを試しても手ごたえは感じられない。
食べない娘を叱ったことも何度もあったし、その度に夫(仮)にそのことを報告していたけど、夫から毎回最初に返ってくるのは娘を心配する言葉で、作る側の私に対してのねぎらいのような言葉はない。それどころか、最終的には「怒っても仕方ない。見守るしかない」みたいな求めてもいないアドバイスだけだった。私としては、「あなたは作る方にはならないからわからないよね」と思っていた。こういったことも、夫(仮)と別居することになった理由の一つになったと言えるだろう。
まぁ夫(仮)は平日ほとんど一緒ににいないんだからそんな感じになるのは仕方ないんだろうけど、報告しては毎回後悔していた。
給食は自分が作ってないし、吐いても見てないからまだよかった。
探して探して買ってきて、食べて欲しいと思って作って、毎食食べるかどうか気にしながら一緒に食事して、食べた日には安堵する。
だけど、目の前で皿いっぱいに吐かれる地獄の時間。
「吐くなら最初から食べないで」「お願いだからお皿に吐かないで」「吐くな!」何回言ったことだろう。
外食の店を選ぶ基準は「食べられるタイプのポテトがあるか」「唐揚げがあるか」「餃子があるか」とか、とにかく娘が吐かないで食べられるものがある店。
おやつは食べるし、食べる時はめちゃくちゃ食べるから痩せたりはしない。
だから周りも心配しない。
唯一の救いは、息子がその隣で影響されて吐いたりぜず、毎食ご飯を食べてくれていたことだ。
彼なりに「自分はちゃんと食べよう」と気を遣ってくれていたところも多分にあったと思う。今も出されたものは全てきちんと食べるので、そうだと思う。
そんな日々が何ヶ月、何年と続き、2021年の春、ついに娘の体重が少し減り始めるようになり、食事問題は療育センターで薬を処方してもらうまでに悪化してしまった。
原因はわからないけど、一度薬を飲んでみましょうかという調子で投薬治療が始まった。
(長くなってすみません。次回でようやく神が降臨します)