エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

困ればいい、と言いきれない

私の息子は昔から手のかかる子、というか、私が息子に対して、怒る、叱る、注意することが多い。

個体差なのか性別の違いなのかわからないが、その頻度は発達に凸凹のある娘よりも圧倒的に息子の方が多い(女子か男子かっていわれたら絶対男子の方が多いと思うが)。

春休み、子どもたちと過ごす時間が多かったこともあってか、特に息子に対してはすごく怒ることが多く、これは先日のカウンセリングでも相談したのだが、そういう時に私の父のような態度が私に出てくることがあり、それで余計に苦しめられる…ということが多々あった。

で、新学期が始まって子どもが家にいる時間が減ったので少しはマシになったものの、まだ今もその流れが続いているところがある(わけわかんなかったらごめんなさい)。

個体差なのかなんなのか

で、娘と比べて息子に対して怒る頻度が圧倒的に多いのはなぜかというと、例えば学校に持って行く持ち物。娘はある意味発達凸凹の特性でもあるのだが、きちっと型にはめることで安心を得るタイプ(予定なども知っていた方が安心するタイプ)なので、連絡帳を見たりお便りを見たりして明日持って行くものを前日にきちんと準備する。まぁ忘れるときもあるが、基本的に先生の話をちゃんと聞いているのでそのへんも抜けが少ない(先生の話が理解できていないこともあるが)。

一方、息子は、そもそも先生の話を聞いていないところから始まる。「さんま」と呼ぶこともあるくらい小さな頃からよく喋る子どもなのだが、自分のトークに夢中で人の話を聞いていない事が多々ある。で、注意力が散漫なので時間割とかお便りも見ているようでちゃんと見ていないことが多い。なので忘れものをしていることが多い。「していることが多い」というのは、私が忘れ物をしていないか最終チェックをしたり、「あれ持ってってる?」と声をかけるから結果的には未遂で済んでいることが多い、という意味だ。つまり、私がチェックをしない日は忘れ物をしていることがあるのだ。

歯磨きの話

こういったことは持ち物に関してだけではなく、日常のあらゆることに及ぶ。小学生男子なんてそんなもんのような気もするが、それにしても…である。

例えば歯磨き。歯ブラシを口に入れるが、5秒も経たないうちに歯磨きの手を止めて喋り始めたり、テレビに見入ったり…ということが毎日、毎回起こる。そして「手が止まってる!もう毎日言ってるよね?いい加減にしてよ」というセリフを私は毎日、毎回言っている。私の記憶が確かなら、息子が幼稚園くらいからずっと言っているので、もう6年くらいは毎日言っているということになる。

もちろん毎日言っているのでたまに小規模爆発することもあるわけで。で、昨日も小規模爆発が起こり、私は次のように言った。

  • お母さんはあんたに「お母さんの歯を磨いて」って頼んでるわけじゃない(ドド)
  • あんたが歯を磨かなくて困るのはあんただよ?(ドドド)
  • 歯磨きしなくてもいいけど虫歯だらけになって口臭くなっても知らんから(ドドドド…)
  • もうなんでもかんでもお母さん手伝わんからな(ドカーン)

とまぁ、こういうことを言いつつも、どうせまた同じことの繰り返しなんだろうな…と思ってはいる。基本的に怒ることがなくなることはない。

困ればいい、と言いきれない

歯磨きの例なんてかわいいもんで、こうした「毎日注意してる系」のことは一日のうち何回も起こる。時間がないのに違うことをしてたりとか、食事のマナーとか。

で、こういう話ってネットの記事なんかを見ていると「親があれこれやってあげるのは自立できなくなるからNG」みたいな意見がある一方で、「ほったらかしはよくない」みたいな意見もある。まぁ極論で言うとネグレクト的な。

このへんの記事↓なんてその代表格じゃないかと思う。結局どっちも極端はよくないよ、臨機応変にね、的な。本当にそのとおりで、すごくよくわかるんだけど、とはいえ「そんなうまいことできまへんわ~」的な、気持ちはモヤっとしたままという…。

toyokeizai.net

benesse.jp

で、私は「もういっぺん困ったらええねや!」と思う一方で、放っておいた結果、子どもが学校とかで困っている姿を想像すると可哀想になってしまい、結局放っておけないタイプである。これは持ち物に限らず、あらゆることに対してそうだと思う。

例えば宿題とかも「宿題しなくてもいいけど、今勉強しなくて大人になって困るのあんただよ。仕事選べなくなるよ」的なことを言っても、本当にそのまま勉強しなくて困られるのは困るので放っとけない、みたいな。

愛ある過保護

で、自分はどうだったかというと、私は母からもよく言われていたが「ほったらかし」で育った子である。3人兄妹の末っ子だったから手が回らなかったというのもあるだろうし、そもそも私がしっかりしていたからほったらかしでも大丈夫だったというのもあると思う。ただ、それに関しては「卵が先か、ニワトリが先か」的な感じで、ほったからしだったからしっかりするしかなかったのかもしれない。

このへんの話については、今ちょうどカウンセリングでも掘り下げているところで、私があまり人を頼ったり人に甘えたりできないことや、自分を責める傾向が強いことと密接に関係しているようだ。つまりは大人になってからの生きづらさに影響しているのだ。

こういうことを考えると、親があれこれ手伝うのは過保護である部分もあるのだけれど、そこに愛を感じることもあるよな、と思ったりもして。なんでも自分でやってきた私にとっては、人によっては過保護にとられることも、「でも過保護にしてもらえるなんて、愛があっていいじゃん」と思ってしまったりするのだ(わけわかんなかったらごめんなさい)。なので、私の中には「愛ある過保護」の部分と、なんでも自分でやってきた「自分のことは自分で」の部分が共存しているというか、なんかどっちの考えもあるから余計にブレブレでこういう場面で迷ってしまうように思う。

結局バランスの話になる

でも結局のところこういう話も「両極端はだめよ」って感じで、色々親が先回りするのもよくないけど、ほったらかせばいいかって言ったらそうでもなく、バランスが大事って話になるんだな…と思う。子育てってほんとバランスが求められることが多い。でもそのバランスをとらないといけない親がそもそもバランスとれてないから悩むっていう…。

こんだけ書いといて結局「要はバランス」って話なんだけれども、ほんと、それができりゃあ苦労しないってね。とりあえず、自分が無駄に怒らないためにも、その都度「これは手伝うところか?放っとくところか?」と自分に問うことを意識してみようかな。

フッ、子育ては楽じゃないぜ…。