今日も愚痴っぽくなってしまうのだが、タイトルのとおり私は今、現在進行形で「話をややこしくする人」と関わっている。
どういう背景でその人と関わることになってしまったのかはちょっと書けないのだが(むしろ本人に読ませたいくらいだが)、その人をAさんとすると、私以外にもBさんとCさんがいて、主にその4人であるひとつのミッションに向かって動いている。
マジで何言ってるかわからない
正直なところ以前からAさんについては「なんかこの人ズレてるよな」と感じることがあったのだが、それほど関わることもないし、私はそういう人がいてもある一定のところまではわりと穏便に済まそうとするので放置していた。
がしかし、昨日から今日にかけてAさんによる「マジで何言ってるかわからない」発言が頻発していて、困っている。
もう少しわかりやすく説明するとこうだ。
- Cさんは司令塔的役割で、Aさん、Bさん、私は連携をとってできる人が動くことになっている
- Cさんから指令が出た
- 私が対応できそうなので対応→全員に報告
- Aさんが横からよくわからない話をし始め、最終的に私の対応は不要だった(折角やってくれたのにごめんなさい)的な結論を出す
- 私とBさん困惑。Cさん沈黙(ただ最終的にCさんが対応をすることにはなる)
- 私→Aさん「えっと…それってそういう話だったんですか?」
- Aさん「いや、私の話が長くなっちゃってごめんなさい!」
- 私「…ちょっとよくわかんないですけど、不要という話であればそれで構わないので私のことは気にしないでください(ということでお前に任せたYO)」
- Cさん沈黙(←なんか反応してくれや…)
- 私とBさん「話ややこしくなってね?なんでこうなるの?とりあえず動きがあるまでほっとこ」
結局全然わかりやすくないかもしれないが、とにかくこんな感じで、そのまま流してCさんの次の反応を待てばいいところを、Aさんが急に話を違う方向に広げはじめ、もとの話を迷走させるという事態がちょいちょい起こっているのだ(今回はCさんももうちょい早く仕切ってればよかったと思う)。
「話をややこしくする人」で調べてみた
皆さんの周りにもたまにこういう人っていないだろうか。私の周りには何人かいる、というかいた。
で、こういう人ってなんでこうなっちゃうんだろう、と疑問に感じたため、とりあえずネットで「話をややこしくする人」と検索したらこんな記事↓が上の方に出てきたので読んでみたら妙に納得した。
思い込みが激しく、小さなことで大騒ぎする
そうかも。なんか、こういう人の話を聞いているとすごく「突っ走ってる感」がすることが多い。いきなりLINEを長文で送ってきたりとか(私も割と長文になることが多いので他人のことは言えないが…)。で、一人で結論まで出しちゃうっていう。「相手はあなたに対してそこまで思っていないのでは?」みたいなことなのに一方的にすごいその相手のことを敵視していたりとか…。で、
面倒くさい人を「意味がわからない」とただ突き放すのではなく、相手の心の世界に想像力を働かせることが大切
完全に「意味がわからない」と突き放してました…すみません…。
また、こちらの記事↓でも、こんなことが書いてあった。
まずこういった話をこじらせる人は話の本質をわかっていません。また聞いていないことも多いです。
これは本当にそう思う。話をちゃんと聞いてなくて、なぜか話がその人の中ですり替えられていることがある。今しがた誰かが話していたことを、その人が次の瞬間ねじ曲げて他の人に伝えているのも見たことがある。こうやって変な噂とか広がっていくんだろうなと思う。そしてこじれる。
話の前後の流れを考えずに、思いつきで話してしまう人も、話をこじらせてしまうことが多々あります。
Aさん、聞いてますか。
話の落とし所をつけようとしているのに、また話を0からにする発言をする人もいます。暗黙の了解でを見事に無視する人もいますよね。笑
Aさん、聞いてますか。
意外と人は、空気を読み過ぎてしまって、話の目的を無視してよしなにまとめることを目的に話をしてしまうことがあります。これは良い部分もあれば、本当の目的とはずれた話になってしまうこともあります。こういった状況を打破してくれるのが、意外と話をこじらせる人の時もあるのです。
うん、たしかに私は空気を読みすぎることろがある。まとめてさっさと終わらせようとするところもある。でも、たしかにたまに「話こじらせマン」が皆が避けて通りたいところを嫌がらずに通ってくれたりすることもあるな…。なるほどなるほど。
大事なことは、ファシリテーターがその人の発言を避けないことです。是非、そういったメンバーの意見もうまく活かしながら、みんなが納得できる動き方をしていきましょう。
今回のグループのファシリテーターはCさんなので、やはりここはひとつCさんにうまいこと仕切ってもらいたい(他力本願)。
人のふり見てわがふりはどこまで直せばいいのか
生きていると色々なタイプのめんどくさい人と関わることがある。
その度に「なんなんだよ…」とか「なんでこの人ってこうなんだろ…」みたいなことを考えるが、そういう時は必ずといっていいほど「でも自分もきっと誰かにはそう思われてんだろうな」という結論に至り、人と関わるのが怖くなったり面倒になったりしてしまう。そしてどんどん心を閉ざし、自分を出さなくなってしまう。
「人のふり見て我がふり直せ」をしていけば良いのだが、果たして自分はどこまでそれができているのだろうか。そもそも誰からも好かれることなんて無理なんだけど、それでもやっぱり好かれたいと思ってしまうわけで。何をどこまでどう調節したらいいのかも難しいなと思う。
ということで、特に結論のない話だが、ひとまずCさんからの「鶴の一声」を待つとしよう。
そして「鶴の一声」で思い出したが、一昨日の夜、子どもたちが寝る時に「鶴の恩返し」の話を読もうとして、私が「つるのおんがえし」と言って読み始めようとしたら、息子がすかさず「つるのたけし」と茶々を入れてきた(しょうもな)。奴もまた一種の「話をややこしくする人」である。