エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

変な人から逃れられない

前回も↓の記事で書いたが、私は早期覚醒(ならびに精神的な不安定さ)に悩まされており、診療内科の先と色々な薬を試し続けている。

で、前回変えてもらった薬も結局合わなくて、昨日も新しい薬に変えてもらったのだが、その薬はなんだかよさそうな気がしている。ちなみに私はほかの薬も飲んでいて、今回の薬を入れると猿之助さんの例の事件で使われたと言われている薬を両方飲んでいることになる。しかし、このとおり私は元気である。

例の事件の真相はまだわからないが、とりあえず私としては、なんかそういう「薬飲んでる奴=ヤバい奴」みたいなネガティブなイメージが広まらないといいなと思う。私は普通に心身の不調を和らげるために飲んでいるだけであり、もちろん依存してしまっている人もいるが、多くの人は私と同じように薬の力を借りながらなんとか生活しているのである。

話が逸れてしまったが、そんなわけで今日も娘の習い事まで時間があるのでこれを書いている。今日はほとんど眠くない。

変な人に惹かれてしまう

で、今日もいつものごとく心理士さんのところにに精神分析心理療法を受けに行き、色々な話をした。

とはいえ、最近の話題といえば、私の異性との関係性についての話がほとんどである。

詳しい話はまた別の記事で書こうと思っているが、私が最近、1年くらいずっと連絡を取り合っていた人(異性)と、喧嘩別れとまではいわないが、一方的に私が愛想を尽かしたような形で連絡を断った。

そのほかにも異性との関係について思うことがあって話をしていたのだが、その中で、心理士さんから、次のようなことを言われた。

  • あなたはやはり男性に対して深い憎しみを持っている
  • その根源は父親にあると思われるが、父親に対してはもう諦めている
  • 男性に憎しみを持っているが故に、対象となる男性が自分の思うような動きをとらなかったときに、攻撃的な態度をとり、「白か黒か」といった判断をする

そして、極めつけといったら語弊があるが、私はいわゆる「まともな人」を相手として選べばいいところを、いつも「何か問題を抱えている人」を選んでしまう、と言われた。

これに関しては過去を振り返っても全くその通りであり、自分でも「あぁ、またこの人も……」みたいな感じであることはわかっている。

なお、ここでいう「何か問題がある人」というのは、前科者であるとかアウトロー的な人という意味ではない。一見普通の人に見えても、私の夫(仮)のように問題を抱えている人も含む。

また、ここでいう「まともな人」というのは、特に問題のない家庭に育ち、大きな問題を抱えることもなく生き、何らかの職業につき、精神的に深刻な問題も抱えていない人などを指す。皆それぞれに悩みや問題は抱えているにしても、多くの人はわりと「まともな人」だと思う。

変な人とうまくやっていく術

心理士さんに言われたことは全くその通りであり、何の反論をする気にもならない、というかむしろ私としては「そう言われましても……」という感じだった。

なぜなら、いわゆる「まともな人」に私は魅力を感じないからだ。

人は皆それぞれ個性があるにせよ、これまで付き合った・付き合ってない関係なく、親しくなる男性の中に「まともな人」というのが誰一人浮かんでこないのだ。あえているとしたら高校の時に付き合っていた彼氏くらいだろうか。

あとは仕事関係で親しくなった異性も、付き合った人も、夫(仮)もどこか皆まともではないところがあった。

そして、「そう言われましても……」と思っていたら、間髪入れずに心理士さんはこんなことを言った。

「でも問題のある人にあなたが惹かれることは問題ではない。むしろあなたが『普通の人』と付き合おうとすると、あなたらしさが失われてしまう。大切なことは、そういう人と親しくなって、自分の思い通りにいかなかった時に、攻撃的にならないようにすることではないか」

なるほど、と思った。私もそう思う。自分が惹かれない人と一緒にいてもきっと楽しくないし、そもそも私と合わないと思う。

大切なことは、自分が惹かれる人たちと、どう向き合っていくかということではないか。

それは相手の考えを受け入れ、尊重することであったり、「白か黒」で切り捨ててしまわないことなどだろうか。

生きづらさの正体のヒント

思えば変な人に惹かれるというのは異性に限ったことではない。私が友達だと思う同性の人は、もちろん子供がらみで「まともな人」との付き合いもあるが、親友レベルになると皆、何かしら問題を抱えていたり、まともではない。

ただ、異性との違いは、同性の場合は攻撃したり「白か黒」で切り捨てることなく、適度に距離をとりながらうまく関係性を続けていることである。

となると、やはり私の生きづらさの正体のヒントは異性にあると思う。

その元となっているのは、やはりドクズである父であり、長男である兄だけが特別扱いを受けてきた家庭環境が大いに影響していることは間違いないだろう。

私がずっと抱えている寂しさやなんだか疲れてしまう生きづらさは、この男性に対する憎しみ的な問題を乗り越えることで解消される、あるいはマシになるような気がしている。

じゃあどうする?って話なのだが、それはこれからまた心理士さんと深い深い心の奥底を探っていくことになるのだろう。

なお、一応念のために書いておくが、私は男性に憎しみを持っていると言っているが、「男全員死ね」とか「男が嫌い」とかそういうことではない。

基本的に男の人も女の人も好きな人は好きだし、誰も彼もに憎しみを抱くわけではない。もっともっと深いかなり深い心の部分の話なのである。

これを読んでくださっている方には、ぜひとも今後とも仲良くしていただきたい。

ということで今日も意味不明だったかもしれないが、私が生きることと向き合っている日々の記録としてここに残しておく。