前回の話↓
さよならコーヒーレディー
新居のマンションは8畳くらいのワンルームではあったが、クジくんを呼べるくらいの広さはあり、針中野の家に比べると随分とまともな部屋だった。私が針中野から学校の近くに越してきたということで、古市駅周辺に住むの友達も私の家にやってくるようになり、酒盛りをすることも増えた。男友達も一緒に集まったときにコーヒーレディーの格好をしたら喜んでいたことを思い出す。
自分で選んで、自分で貯めたお金を使って借りた部屋は何とも言えない充足感に満ちていた。
ただ、やはり土日だけとはいえバイトに行くのは大変だった。
一旦近鉄南大阪線で阿部野橋(天王寺)まで出て、天王寺からJR関西本線に乗り換えて平野駅に行く。まぁ電車だけで考えれば電車には40分くらい乗れば着くのだが、ドアtoドアだと1時間くらいになる。チャリで10分くらいで行き帰りできていた私にはとても遠く感じた。
そんなわけで、コーヒーレディーのバイトは一旦辞めることにした。とはいえ、一度身につけたスキルは無駄になることはない。ましてや私は最高売上を叩き出した売り子でもあったので、完全に辞めるというわけではなく、またヘルプとかできそうな時があったら来て、みたいな感じでバイトに行かなくなった。
クジくんの告白
じゃあ、クジくんとはどうなるのという話になるわけだが、私は意を決してクジくんに告白することに決めた。ただ、それまでにもクジくんのことが好きというアピールは本人に散々してきていたので、クジくんも気づいてないわけではなかったと思う。
私はクジくんに限らず、いつも「あなたのことが好きです」というアピールは散々できるのに、面と向かって告白することができない小心者の女だった。
今思うと、それまで付き合ってきた数名の男の子たちは面と向かって告白してきてくれていたのに、私はなぜ自分は同じことができなかったのだろうと思う。告白の現場を目の当たりにした経験があるのなら、自分だって同じことができそうなはずなのに。
でもやっぱり面と向かって告白できなかった私は、クジくんにメールを送った。内容は「バイトは辞めてしまうけど、クジくんのことが好きだから、付き合ってほしい」みたいな内容だったと思う。
何時間、いや、何日後かが過ぎた頃だった。クジくんから私の携帯に電話がかかってきた。最初はお互い照れ隠しではないが、「最近どう?」みたいな話をしてはぐらかしていたように思う。
そしてしばらく経ったあと、クジくんが「あの、この間、江戸ちゃんがくれたメールのことなんやけど」みたいな感じで話を切り出した。私もドキドキしていて、一言一句何を言われたのかまではわからないが、クジくんが話を始めた時点で「これは駄目だな」ということはなんとなく悟った。
クジくんから語られたその話は、思いもよらぬ内容だった。
クジくんの話によると、クジくんが16歳くらいの頃、つまり高校生になって間もない頃、友達とバイクに乗っていたそうだ。いわゆる2ケツ、2人乗りである。そしてそんなある日、友達とクジくんは事故ってしまい、運転をしていた友達は亡くなってしまい、クジくんだけが生き残ってしまったというのである。
クジくんは、今でもそのことを引きずっているとはっきりと言っていた。そして、「江戸ちゃんのことは友達としては好きだけど、今はまだ誰かと付き合ったりとか、そいういう気になれない」と言った。
いい加減そうに見えて気を遣うクジくんのことなので、本当は単純に私が恋愛の対象にならないけど、そういう理由をつけてやんわり断ってくれていたのかもしれない。
本当に私と付き合いたいという気持ちがあったとしたら、友達とのことも乗り越えられていたのではないかとも思ったが、私はいつもふざけてばかりいるクジくんが、初めて自分のこころの内側を話してくれたことに驚くと同時に、素直にその言葉を受け入れた。
「そっか、なんか困らせちゃってごめん。またイベントあったらクラブ行くから誘ってよ」――。そんな感じでその日の電話は終わったと思う。
クジくんのこと
クジくんと私が出会ったのは19歳。クジくんの友達が亡くなったのはおそらく逆算してもまだ3年ほど前のことだろう。
私が見る限り、クジくんの顔や手は白くて綺麗で、大きなケガの痕などはなかったが、自分と一緒にそれまで楽しく遊んでいた友達が、目の前で突然死んでしまったら、どんな気持ちになるだろうと思った。例えば私なら、マミちゃんと夜に車で街を走っていて、運転していたマミちゃんだけが急に車に押しつぶされて死んでしまったらどんな気持ちになるだろう、と。
いつも明るくて調子のいいクジくんが、今のクジくんになるまで、クジくんはどんな気持ちになって、今のクジくんになることができたのだろう。
クジくんとの電話のあと、私は自分の失恋のショックよりも、クジくんのこころにこれまでどんな動きがあったのか、どんなに辛い思いをしたのかとか、彼はこれからもずっと友達のことを引きずって生きていくのかとか、ずっとそんなことを考えていた。
クジくんの明るさとか、いい加減さとか、友達付き合いを大切にするところとか、きっとクジくんのそういう部分はクジくんのこころにできた傷を埋めようとしている、かさぶたのようなものだったのではないだろうか。
クジくんが、いつもふざけながらもなんとなく影のある感じ、一歩引いたような、俯瞰したような雰囲気を持っていたのは、こころに負った大きな傷のせいだったのかもしれないと思った。
そのこころは、マルドロールのオブジェ
あの電話以来、私からはクジくんに連絡することはなくなった。一度だけ、イベントをするという連絡があった記憶があるが、結局行くことはなく、私も次のバイトをしたり、新しい彼氏ができたりして、それらから連絡をすることもなくなった。
引越しをして、コーヒーレディーのバイトも辞め、「マルドロールの歌」の前にあるオブジェを自転車で通り過ぎることもなくなってしまった。
大学に入ってからの1年間、色々なことというか、ほとんどバイト中心の生活だったけど、音楽を聞きながら朝日を浴びたあのオブジェの前を通り過ぎていた時の、キラキラしていた自分のことは今でも忘れられない。あれもまたいわゆる青春の1ページというやつなんだろう。
そして、今でも思うのは、人のこころはいろいろで、私には全然見えないということだ。
結局私は、シダのこころもよく見えないというか、深く考えて悩んでも理解できず、受け入れることができなかったし、クジくんのことも、クジくんから事故の話を聞かされるまでは何も知らないままだった。
あれから20年以上経つが、いまだに人のこころがちっともわからない。宗教を超えて人を好きでい続けることが正しいのか、こころに傷を抱えた人をずっと待ち続けるのが正しいのかもよくわからない。
「マルドロールの歌」のオブジェみたいに、私たちの身体は無数の針金が絡み合ってでできていて、中身は見えそうで見えない。見えないけど実のところは空洞、透明で、何も見えやしない。雨の日も晴れた日も、ただそこに立っている。その傍を人が通り過ぎていく。たくさんの人が。
あのオブジェは今はどうしているだろう。シダもクジくんも、バイト先のみんなも、今はどうしているのだろう。
ただ、きっとみんな、今もまだ、オブジェみたいなままなんだ。