昨日LINEのタイムラインで「最近ようやくブログ更新しはじめました」的なお知らせをしたら、読んでくださった方が意外といたのか、劇的にアクセス数が伸びて驚いた。
ありがとうございます。
私はライターだが、基本的に書く内容の事と綺麗にまとめることしか頭になくてSEO的な「読まれること」とか、バズらせることはほとんど意識して仕事していないので(それでは駄目なのだが…)裏画面でアクセス数が伸びるのを見てSEOマーケティング的なことに少し興味が持てました。ありがとうございます。
そんなことはさておき、昨日はカウンセリングの事を書いたが、ここでまた現在に至るまでの流れの話へと話を戻そうと思う。時系列が実際とは多少違うかもしれないが、カウンセリングのメモを見ながら書いており、だいたい合っていると思うので細かい点はご容赦いただきたい。
わからない/かわらない夫(仮)
2月の酒隠し問題発覚後、「顔も見たくないし、一度一人になって自分のことを見つめ直してください」ということで夫(仮)を3月の1ヶ月間家から追い出したわけだが、契約は1ヶ月で終わり、緊急事態宣言が発令されたこともあり夫(仮)は在宅勤務となり、4月はずっと家にいた。
夫(仮)が自宅に帰ってきてから、どこかのタイミングで自分の気持ちや一人になって考えたことなどを話してくるかと思っていたのが、夫(仮)から話してくることはなかった。やはり酒に走る人は自分のことを言えない人が多い傾向にあり、夫(仮)はガッチガチにそのタイプなんだ思う。
しびれを切らした私はある時「家出てみてどう思った?」と聞いてみたが、出てきた言葉は「子どもたちに会いたかった」ただそれだけだった。「え?それだけ?他は?お酒のこととかは?」みたいなことをたしか聞いた気がするが、その時は「まだどうしたらいいかわからない」みたいなモヤっとした返答しかなく、「1ヶ月家出といて一人で感がる時間あったのにそれだけかよ…」と思った記憶がある。
子どもたちも休校・休園で家にいる中、夫も在宅で家にいて、子どもをお風呂に入れてもらったりとか助かった部分もあったが、やっぱり一日中一緒にいなかった状態から一日中一緒にいる状態に戻ったストレスはかなりのものだった。それは夫(仮)にとってもそうだっただろう。
最後の家出
そして1ヶ月ほど経ったある日、ささいな家事のことで夫にきつい口調で注意し、その翌日もまた気に入らないことがあり、苛立ちを抑えきれず、私はきつい口調で夫(仮)に注意してしまった。
息子がいつも食べているポケモンパンを私が買ってきていて、賞味期限が迫っているというのに、夫(仮)が別のパンを食べさせたことがきっかけだった。私が「なんで賞味期限迫ってるのにわざわざそっち食べさせるの?」的なことを言ったら、夫(仮)が「だったら(息子の)名前書いとけや」みたいなことを言って逆切れされた、という本当に今思い出してもしょうもない話だ。
「はいわかりました、じゃあこれでいいですね。これからはわかるように全部に名前書きますね」みたいな感じなことを言ってパンの袋に油性ペンで名前を書いて突き出したものの、怒りが収まらず、その後2時間くらい私は子どもがいる前で座り込んで泣いて、夫(仮)と話した。
しかし、夫(仮)は別の事をしながら私の話すことを聞いている感じで、それはまるで「頭のおかしいやつが泣きながらなんか言ってるわ」みたいな態度にしか見えなかった。「いや俺が酒飲むのがわるいだけだから」みたいなことも言っていたが、それも投げやりな感じというか、嫌みっぽく言われているように感じた。
そんなどこか他人事な夫(仮)の態度を見ているうちに、私は少しずつ「私がいなければ夫(仮)は好きなだけお酒を飲めるし、子どもに今のような醜態を見せることもないし、イライラした態度をとることもないし、私が出て行けばいいのでは?」という気持ちになってきて、話も埒が明かないままだし、最終的には「準備ができたら出ていきます、今までごめんなさい、すみませんでした」と言って、全てを投げ出して家出することにした。
ネット環境とパソコンさえあれば私の仕事はできるので、私は自宅から車で1時間もかからないマンスリーマンションみたいなところにその日のうちにひとまず1ヶ月間の契約で借りて、学校や園への対応、子どもの身の回りのことなど必要なことだけを書き残して、翌々日には家を出た。
それまで「プチ家出」はしてきたが、ここまで長期間の家出は初めてだった。そしてこの家出が最後の家出となった。
一人暮らしの間に考えたこと
子どもがいる身で母親失格かもしれないが、十何年ぶりかの一人暮らしはとても快適だった。そしていつもと同じように仕事をしても、驚くほど自分のために使える時間、考える時間があった。
私はそこからカウンセリングに行ったり、わりとスピリチュアル系が好きな姉から勧められた大愚和尚のYouTubeを見たり、離婚について調べたりして過ごした。
私は母方の実家がお寺(=おじいちゃんがお坊さん)ということもあり、仏教の考え方は結構好きで、ためになるところがあった。
ちょうどそれと同じタイミングで、「辛い時はお薬に頼るのもひとつの方法です」ということで、カウンセラーさんから今通っている心療内科の紹介を受けて、心療内科への受診も始まった。特にうつなどの診断がされるわけではなかったが、精神安定剤を処方してもらうことができた。
そして家出先に帰って精神安定剤を飲んだら、それまで半年、いや1年近く毎日かいていた寝汗が翌朝にはピタッとなくなっていて衝撃を受けた。精神安定剤を飲んでいるという意識や、一人になれたことで、私はとても穏やかに家出期間を過ごすことができた。
離婚については、もし離婚したらどんな手当が出て、どこに住めばどれくらいの家賃なのか…といったことを調べていた。だが、はっきり言ってその時は現実的ではないなと思った。仮に離婚するとしても、子どもが転校することになってしまうし、夫に出て行ってもらうのが一番影響が少ない、離婚するならその方法しかない、どうにかできないか、と思った。
その一方で、大愚和尚のYouTube(特に上に貼ってるリンクの動画)を見て、相手のことを変えることはできないけど、自分の事は変えられる。私が精神安定剤を飲みながら夫(仮)へのこれまでの蔑んだ態度や、明らかにイラついているようなふてぶてしい態度、考え方を改めれば、ひょっとしたら離婚せずにどうにかできるのではないかとも思い始めていた。
今考えてみると、たしかに歩み寄ることは大切だが、なぜそこまで必死になってそれまでの家族という形(仮面夫婦なのに)を守ろうとしていたのかも、半ばマインドコントロール的な形で無理矢理事態を収束させようとしていたのか自分でも不思議だ。
ただその時は「子どものため」とか「離婚するなんて我慢が足りないんだ、おかしいんだ」という気持ちが強かったように思う。
誕生日の確信
そして5月11日、私の誕生日に、子どもがお祝いしたいということで、夫(仮)が子供の分の布団などを車に積んで私の家出先にやってきた。
私は、さすがにこんな状況でも夫(仮)から「誕生日おめでとうございます」のひと言くらいはかけられると思っていたが、結局日付が変わるまで一切夫(仮)が祝いの言葉を伝えてるくことはなかった。
時間が経ってから夫にその時の気持ちを話したら、夫は「あの時は本当に(私に対して)ムカついていてそんなこと言う気持ちにはなれなかった」と言っていたが、正直「人として終わってんな」「もうこの人とは本当に無理だ」と思った。
今となってはそんなお祝いの言葉なんてどうでもいいこだわりだと思うし、別に言われたからなんだって話ではあるのだが、その誕生日の彼の態度もまた、私に離婚を決断させるに至るきっかけのひとつとなった。
ちなみに私は彼の誕生日には「おめでとうございます」は言った。ただ、祝う気は全くなかったので夜は友達と食事に出かけた。正直もう何年も前から夫(仮)の誕生日なんて全く祝いたくなかったので、ようやく逃げられた、というような気持ちだった。
その後、子どもたちは何度か私の家出先に泊まりに来て、緊急事態宣言下で出掛けることもできなかったので、いつもとは違う環境を楽しんでいるようだった。
子どもたちには申し訳ない気持ちもあったが、息子と娘はとても仲が良くて、割と新しい環境を楽しめるタイプなので、本当にそこに関しては有難く思っている。
その頃から少しずつ「私が幸せに暮らすことが、子どもたちにとてもいいことなのでは?」と考え始めていた気がする。
そうして、そんなこんなしているうちに、子どもたちの学校や幼稚園も始めることが決まり、私の家出は1ヶ月で終わった。
(今日も長くなってしまいました…うだつの上がらない話はまだまだ続きます…おやすみなさい…)