エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

死にたい母親はどうすればいいのか

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せっかく立ち上げたブログなのに、ようやく2回目の更新である。

忙しいし、しんどい。

入院をしていた娘は、素晴らしい医師や看護師、スタッフの方々のお陰で、先日無事に退院することができた。

 妊娠中からわかっていた心疾患だったので、かれこれもう6年ほどの闘いにようやくひとまずはピリオドが打てそうな感じである。

本当に、関わってくださった多くの方々に感謝、感謝である。

 私は生まれ変わったらお医者さんに絶対になりたいと思う。

なぜなら神様でもないのに、命を救うことができる人間だからだ。

まぁ、簡単に言うとそんな感じだ。

 がしかし、私は今、日々死にたい衝動に駆られてしまっている。

神様のようなお医者さんのおかげで、娘の命は救われたというのに。

 死にたい理由は、まぁとにかく日々生きているのが辛いからだ。

もともと考えすぎる性格ではあったものの、ここまで毎日のようにリアルに死を考えることは今までなかったかもしれない。

家で首が吊れそうな場所はどこか考えてみたり、事故物件になるから公園の方がいいか、でも公園ならどこがいいかな、とか、手持ちの薬を大量に飲んだらどうだろうとか、車で一人で事故ってみたらどうだろうとか、こんなことを書いたらドン引きされることは承知の上で書くが、わりとリアルに考えている。

 こんな風に考えるきっかけというか原因は、はっきり言って夫婦関係である。

もちろんやんちゃな長男や発達が遅れ気味の娘のことなど、これまで子育てで死んでしまいたいと思ったことはあったが、現状死にたいと思う原因は夫婦関係だ。

 夫とは、今年で結婚10年目になるはずだが、夫の飲酒のことや家事や子育てのことでうまくいかなくなった。

夫だけが悪いわけではない。

私にも悪いところはあるのだと思う。

お酒のことに関しては、夫を説得してアルコール依存症専門のクリニックに通わせたこともあったし、1カ月単位だが、お互い自宅を離れて別居をしたこともあった。

私は友人の勧めで今年の3月頃からカウンセリングに通っている。

私はカウンセラーさんの勧めもあって、精神科のあるクリニックにも通っている。

そこで精神安定剤を出してもらって毎日飲んでいる。

ただ、何も診断はされているわけではない。

つまり、うつとかではないのかもしれない。

 離婚することは何度も考えた。

でも、私の今の収入だけでは決して2人の子どもを養っていけはしないし、

仮に職を変えたとしても、夫は子育てに関してはよく手伝ってくれる方なので、

1人でめちゃくちゃ働きながら手伝いもなく1人で2人の子どもを育てていけるのかも不安だ。

5月に離婚する気満々で家を出て一人暮らしを1カ月したが、現実的に考えて離婚は無理だと思った。

その時は、自分が変わればいいと思った。

全てを受け入れようと思った。

自分の気持ちを大事にしようと思った。

時間はかかっても、なんとか変わっていけるんじゃないかと思った。

精神安定剤のおかげで、なんとなく穏やかな気持ちにもなれた気がした。

(実際ずっとぼんやりとした感じはある。そしてよく眠れる)

 でも、ちょっとしたことがきっかけで、前向きになれそうな気持ちが、そうではなくなってしまった。

そして、ついこの間も、追い打ちをかけるような些細な出来事もあった。

 死にたい。

先日のカウンセリングでも、カウンセラーさんに伝えた。

「もう死んでもいいかなって思ってしまう」

「生きてても辛いだけだし、自殺は残された人を傷つけるし、いけないことなんだろうとは思うけど、私の命は私のものだから、命を絶つのも私が決めていいのではないかと思う」

と伝えた。

自分の命は自分のものである、ということについて、カウンセラーさんは否定はしなかった。

でも、「あなたが死んだら子どもたちはどうなってしまうんですかね?」と問われた。

私は「死んだ直後は大変だけど、どうにかなっていくんじゃないかと思う」と答えた。

カウンセラーさんは、もちろん「そうですね」なんて言わなかったし、たしか「死なないで」とも言わなかった思う。

 今、コロナの関係でうちの子どもも含め、夏休みが終わって2学期が始まった学生が多くいる。

長期の休み明けはいじめなどを苦に自殺をする若者が多く、ネットでは過去に辛い経験をした有名人の方たちの「学校に行かなくてもいいんだよ」「休んでいいんだよ」「大丈夫だよ」といった温かいメッセージが綴られた特集が組まれていたりする。

さっき、何記事かそれらを読んで、私も少し励まされたところがあった。

やはり辛い経験をした人は、言葉の選び方がリアルだと感じた。

 でも、私は子どもじゃないし、学校に行っているわけではない。

私にとっての学校的存在は、むしろ朝起きてから寝るまでの生活である。

朝起きたくない。

何もしたくない。

でも、そうはいかない。

だって私は母親だから。

子どもの朝の支度は夫がほぼほぼやってくれるけど、でも他にもすることはあるわけで。

掃除洗濯、ご飯の支度、学校関係のもろもろ…そして仕事。

 子どもはいつもどおり元気である。

それを維持するためには、私もいつもと同じでないといけないんだと思う。

でもしんどいならやらなくていいじゃん、楽しちゃえばいいじゃんって、どこかの誰かの声も聞こえる気がする。

でも、やらなくなったらどうなるの?

同じように夫ができるなら、きっととっくに私はそうしているはず。

 結局のところ、死んだら親や友人が悲しむとか、子どもが一生引き摺るとか、そういったことを考えるから、私は死んでいない。

死にたい母親はどうすればいいのか。

死ぬくらいなら離婚した方がいいのかもしれない。

でも離婚したら、子どもには今みたいに元気じゃなくなってしまうかもしれない。

引っ越しだってしないといけないだろう。

 私が死んで、なおかつ、残された子どもたちがうまくいく方法ってないのだろうか。

病気になって死んだら、事故に遭って死んだら、うまくいくのだろうか。

でも、死ななかったら、死にきれなかったら今より良くない状態で生きることになる?

 死にたい母親はどうすればいいんだろう。

本当に、死んでもいいと思っている。

朝起きて、生きていることにガッカリする。

でも決行しないってことは、まだ「そこまで」じゃないってことなのかな?

 世界中にいる、死にたい母親たちは今、何を思っているのだろう。

どんな気持ちで1日を過ごしているのだろう。