前回の話↓
事実は事実でしかない
事実とは、人の手には触れることのできないものだ。ただそこにあるだけで、二度と変えることはできない。
事実と真実は違う。真実は時として、自分にとって、また他の誰かにとって都合よく変えることができてしまうものである。
事実は変えることができない。だからこそ、事実を知る者は、事実を知っておくべき者に対して、ありのままを伝えるべきではないだろうか。たとえその相手が幼子であっても、言葉が通じる齢であれば、事実は事実として伝えるべきだと私は思う。
「まだ子供だから」「きっと傷つけてしまうから」など、そういったことは事実を知る者の想像の範疇にすぎず、事実をどう受け止めるかは事実を知らされる者にしかわからないことだ。
仮に事実を知り、傷ついたとしても、やはり事実は事実でしかないのだ。
ただ、たとえ長い時間がかかったとしても、事実の受け止め方を変えることはできる。
事実を知るものの感情などは必要ない。
必要なのはその事実をただ相手にわかりやすく伝えるという努力だけだ。
伯父さんの死因
私の伯父さん、厳密には私の母の姉の夫にあたる人は、私が幼稚園くらいの頃に亡くなっている。私は誕生日が5月にあるのだが、私の誕生日か、たしかその翌日が命日だったはずだ。
その頃、私は同い年のいとこと、母の実家である寺とはまた違う別の寺に連れられ、伯父さんの供養か何かをしている間、いとこと境内の下に入り込んでは蟻地獄を見つけて遊んでいた。
いとこは母の兄の子で一人息子だった。すなわち将来は和尚になる身だった。だから、ひょっとしたら彼はその特殊な家庭環境から伯父さんについての事実を知っていたのかもしれないが、とにかく私たちはそのお寺に何日か通い、時間を持て余していた。
伯父さんと母の姉の間には息子と娘がいた。母と母の姉は歳が随分と離れていたため、その子ども、すなわち私にとってはいとこである彼らもまた随分年上であり、でも私たち兄妹はその年上のいとこがとても好きだった。
お兄さんの方はとてもひょうきん者で、現在もたしか私の兄の会社で働いている。そして、妹の方は、社会を斜に構えているような少し影のある人だが、いつも落ち着いていて、優しく話を聞いてくれる人だった。今はどうしているのかは知らないが、私たち兄妹は2人に会えるのをいつも楽しみにしていた。
彼らが成人するまでに、彼ら一家は何度か引越しをしたが、いつも私の実家から比較的近い場所に住み、正月や何か機会があれば会えるような間柄だった。
ただ、彼らの父である伯父さんの死因を私は長い間知ることはなかった。厳密に言うと、今も知らないとも言える。私の兄や姉が知っているのかどうかは知らない。
伯父さんの死因は、自殺だった。
幼い頃は伯父さんの死因なんて考えたこともなかった。まさか身内が自殺するなんて思わなかったし、私のおぼろげな記憶の中で伯父さんはいとこのお兄ちゃんと同じようにひょうきんで楽しい人だったからだ。
ただ、いつからか「気の優しい人だったから」「(母の)お姉さんが気の強い人だったから、1人で抱え込んでしまったのかもしれない」そんな話を親戚や親たちが稀に話しているのを聞くようになり、「ひょっとしたら」と自ら思うようにはなっていて、私の中で「伯父さんはおそらく自殺したんだろう」という結論は出ていた。
ただ、実際にそれが事実であったとわかったのは、成人してから、しかもわりと最近の話である。
ある時、母が何かの話の流れで、当たり前のように話したのだ。
たしか近所の瀬戸内海のそばの雑木林で見つかって…とか、そんな話だったと思う。「自殺」という言葉は使わないものの、それは確実に自殺を想起させる内容だった。
母は一体どいういうつもりでそのことを私に話したのだろうか。加齢による認知機能の低下なのだろうか。
私は一度たりとも伯父さんが自殺したという事実を誰からも聞かされてはいない。
今もそうだ。
Uちゃん家の事情
同じようなことは、伯父さんのこと以外にもあった。
私の実家のすぐそばには、Uちゃん(本当はYちゃんなのだが、私の名前と被るのでUちゃんとする)という私より一つ下の女の子の家があり、Uちゃんのお兄ちゃんは私の兄の幼馴染だった。さらにUちゃんには小さな弟もいた。
Uちゃんのお母さんは、まさにバブル期を髣髴とさせるヒョウ柄とかの服を着ていたりしていて、芸能人でいうと飯島直子のような雰囲気の人だったので、近所でもひときわ目を引く存在だった。Uちゃんのお父さんは真面目でおとなしい人で、私の父と幼馴染、つまりはUちゃんのお父さんも昔からその土地に住む土地持ちの家の人だった。
Uちゃんのお母さんは私の母よりも随分年下、つまりUちゃんのお父さんとも歳が離れていたし、子どもの目から見てもUちゃんのお母さんとお父さんは不釣り合いというか、なんだか意外な組み合わせの夫婦ではあった。
ただ、Uちゃんのお母さんは派手な人ではあったが、とても気さくでチャーミングで、同居する義理の母や父が亡くなるまで常に意地悪な態度をとられていても、周囲には愚痴りながらも明るく振るまうような、強くて魅力的な人だった。
きっと私の母もそんなUちゃんのお母さんに惹かれるところがあったのだろう。2人は歳は離れていたが、昔から仲が良かった。
私たち子どもが小さな頃は家族ぐるみで山や川に出掛けたり庭でバーベキューをしたりもしていたし、Uちゃんの祖父母が亡くなり、私たち子どもも大きくなってからは、母とUちゃんのお母さんは2人で毎月お金を積み立てては、毎年のように海外や国内に旅行に出かけていた。2人はとても仲が良かった。
ただ、ここでもまた、両親は私に事実を伝えることはしていなかった。
勘の良い人であれば気づいたかもしれないが、Uちゃんのお母さんは後妻で、UちゃんとUちゃんのお兄ちゃんは血のつながらない兄妹だったのだ。
私も物心ついた頃にはすでにUちゃんと遊んでいたのでよく覚えてはいないのだが、Uちゃんの祖母がUちゃんにだけきつく当たっていたところから考えると、おそらくUちゃんの弟はUちゃんのお母さんとお父さんの間にできた子だったのではないかと思う。
Uちゃんの口から直接「実は今のお父さんは本当のお父さんんじゃない」なんてことは聞いたことはなかった。
しかし、Uちゃんだけが小さな頃から祖母(といっても実際は義理なわけだが)にいじめられていたこと、Uちゃんのお父さんとお母さんの年齢差を含めたアンバランスな感じ、なんとなくUちゃんのお兄ちゃんとUちゃんのお母さんとの間に感じられる距離感などから、私は小学校中学年くらいにはすでに「Uちゃんの家の事情」をなんとなく感じとっていた。
そして、これもどいういうわけだかわからないが、私の両親もまた、気が付けば日常の中でUちゃんの家の事情をあたかも子どもたちが皆知っているかのような口ぶりで話すような場面が度々あった。
私はその度に「いや、なんか普通に話してるけど説明受けてないから」と思っていた。毎回、毎回、Uちゃん家の話になる度に思っていた。
一体両親がどういうつもりでそうしていたのかはわからない。単純にうちが3人兄妹でバタバタしてるし、兄や姉には言っていて、私に言ってなかっただけなのかもしれない。あるいは「知らなくてもいいこと」として単純に処理していたのかもしれない。
ただ、私はもうこの世にはいない伯父さんの死因よりも、日常的に関係のあるUちゃん家のことを話してもらえていないことにずっと違和感を感じていた。
違和感というよりはもはや不信感かもしれない。
「うちの親は事実を話さない」そんな意識が常にあったし、今もある。正直なところ今現在もそのような実際話していない事実があることもなんとなくわかっているし、これまでにも事後報告のようなことが幾度となく繰り返されてきた。
私の両親はいつもそうなのだ。本来なら事実を伝えるべきであろう人に事実を伝えない。
「事実を伝えるべきであろう人」の定義も曖昧ではあるのだが、純粋に私の感情として、家族であれば伝えて欲しい事実を伝えてくれないことが多々ある。
だから、私はなんとなくずっと自分の家族に対して、風船のようなイメージを持っている。一つのモノとしては一枚に繋がっているけど、本来あるべき形にしようとすると中身がない。簡単に飛ばされて、簡単に割れてしまう存在だ。
なお、Uちゃん家の事情について母の口からはっきりと聞かされたのも、私が成人してから、というか今から10年ほど前、Uちゃんのお母さんが白血病の末にこの世を去ってしまってからある。
(つづく)