エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

コーヒーレディーはマルドロールを駆け抜けて①

狭い部屋、汚い街

大阪市東住吉区近鉄南大阪線針中野駅から徒歩14分。チャリならだいたい5分。

私の第二の人生は多分そのあたりから始まった。

朝ゴミを出そうとゴミ捨て場に行ったら、そのゴミ捨て場でホームレスのおじさんがゴミを漁っている。私はそこに躊躇なくゴミを投げ捨てる。漁るなら勝手に漁ればいいけど、おじさんの欲しいようなものは多分入ってないだろう。大阪ってそんな街なんだと思った。それがスタンダード。色々と汚い。

ライオンズマンションのような名前だけは立派なのそのマンションは9階建てで、私はたしか8階に住んでいたような気がする。エレベーターの扉は真っ赤な色をしていた。

ワンルームのマンションだが、驚くべきことに一部屋は11平米くらいしかない。つまり6畳もない。風呂とトイレ、ビジネスホテルによくある四角い冷蔵庫と電磁調理器のついた小さなキッチン。ご丁寧にベッドは備え付けてあった。狭すぎて玄関がない。玄関がないので靴は1階のホールで脱いで下駄箱に入れて自室に上がるという謎のシステム。1階のホールには愛想の悪い管理人のおばさんがいた。洗濯機がない、というか置けないので、洗濯物は1階と9階にあるコインランドリーを使う。もちろん有料である。

私の隣の部屋はいつもaikoを熱唱している女の子が住んでいた。別に下手じゃないけどずっと歌ってるから何回か壁を殴ったことはあった。

家賃は共益費込みで3万円しなかったと思う。中国人らしき外国人がたくさん住んでいた。要は安くで住めるマンションだった。ただ住めるってだけの部屋の集まり。

その部屋を選んだのは私ではなかった。いや、自分で部屋を選べてたらとにかくそんな狭い部屋なんて選ぶわけなどない。大学からも微妙に遠いし。

今考えたらあれはどう考えてもヤクザあるいはそれらしき怪しげな人たちが絡んでる不動産屋だった。従兄のつながりの不動産屋とのことだったが、大国町のよくわからない場所にある小さな事務所で、その日じゅうに部屋を決めるってことでヤクザみたいな人たちの案内で、父と母と3人で住む部屋を探しに行った。

4~5件は見たと思うけど、どれもまぁ狭かったし、高校3年生の私ですら「風俗嬢が住んでそう」と思うような部屋ばかりだった。家賃3万円以内だし、大学は南河内郡にあるのに、なぜか大阪市内で探そうとしてるし、近鉄南大阪線沿線となるとまぁそうなるのも仕方がなかったと思うが。

なお、大学に通い始めてから知ったことだが、その何件か見た部屋があった場所は大阪の中でも結構ヤバい場所だった。私のマンションはギリセーフな土地だった。隣の駅なら相当ヤバかった。その隣の駅に住んでた同じクラスのケンさんもあの駅は安いけどヤバいと言っていたので間違いはないだろう。

で、結局父の独断でその中では一番マシに見えたその9階建てのマンションに私は住むことになった。部屋が狭すぎるので荷物は引越し業者に頼むまでもなかった。3月、高校の卒業式が終わった数日後とかにどこかから借りてきたワゴン車に荷物を積み、父の運転で運んだ気がする。

引越してすぐに近所のアサヒでママチャリを買った。黒いハンドルの銀色のママチャリ。東住吉区とはいえ大阪市内である。兵庫県の誰も知らないような町から出てきた私にとっては、歩道がちゃんとあって道路が広いなと思った。ビルもマンションもいっぱいあると思った。そもそも街が整備されていると思った。

針中野の駅から家に帰る途中に食べ物も売ってる100円ショップがあった。そこで色々買った気がする。店長は愛想の良い男の人だった。

引越してから入学式まではまだ日があったので、その間に受験の前日に偶然同じホテルの隣の部屋で知り合ったノブちゃんがうちに遊びに来た。ノブちゃんは長野出身だったけど、私の狭い部屋とは大違いの、大学の近くにあるなかなか味のあるセンスのいいアパートに引っ越してきていた。ノブちゃんは私の部屋の狭さに「すごい!」とある種の感動を覚えていた。

東京にある黒川紀章が設計した中銀カプセルタワービルは2022年から解体工事が始まったが、ノブちゃんの「すごい!」はあの中銀カプセルタワービルの中に入った人のような「すごい!」だった。こんな狭いところに人が住めるんだ的な。

まぁそんなこんなで、私の第二の人生、子供のころからずっとずっとやってみたかった一人暮らしは始まった。

実家を出る前、隣町でも特にイケてる美容室として知られていた「オレンヂジュース」で生まれて初めて髪を染めた。担当してくれたのは兄の元カノだった。髪の色も変わって、これからいろいろ変わっていくんだと思った。今思えば当時着ていた服とかとんでもなくダサかったけど、自分はこれから都会で生きていくんだと、すごく新しい気持ちになっていたのを覚えている。

夜ひとりぼっちで誰一人知ってる人なんていないのに、全然何も怖くなかった。マンションがいっぱいあって、そこらじゅうに灯りもついている。すぐ近くには24時間営業のファミレスもあって、コンビニだってある。狭い部屋で、汚い街だったけど、全てが新鮮だった。