エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

性と居場所

昨日子どもにおやすみを言おうとしたら、二段ベッドの上段で寝ようとしていた息子が起き上がって「今日お父さんとF(近所のショッピングセンター)に行ったら、女の人の格好した男の人が女子トイレに入ろうか迷ってたけど結局入らなかった!」とやや興奮気味で報告してきた。

息子がなぜわざわざそのタイミングでそのことを報告してきたのは謎だが、私は「マツコとかIKKOさんみたいなもんだよ、そんな人もいるよ」と言った。しかし息子は納得がいかない様子で「マツコみたいに太ってなかったし、そんな感じじゃなかった!」と言っていた(太ってるのは別に関係ないだろ)。

まぁ私も結構ヤバい地域に住んでいたので小学生の頃登校時にセーラー服を着てチャリを漕ぐおじさんを見たりとか、それ以降も定期的にそういう方々を目にすることはあるので息子が「マツコみたいなんじゃない!」と言いたいのはわかるが、私は次のようなことを言って子ども部屋の電気を消した。

  • そういう人もいる
  • みんながみんなマツコやIKKOさんみたいに綺麗にできるわけじゃない
  • 女装家って人もいるし、みんな服は好きなものを着ればいい
  • その人は女になりたいのかもしれなくてトイレも女のトイレに入りたかったのかもしれない
  • LGBTとか言うやん?
  • 見た目は変だったかもしれないけど誰にも迷惑はかけてないし(多分)、こまけぇこたぁいいんだよ(はやく寝ろ)

息子が見たその人が結局何をしたかったのはわからなかったが、まぁその人にも色々事情があったのだろう。

私は大昔に「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で日出郎さんというドラァグクイーン的な人を見てから、いわゆるオカマとかオネェといわれる方々が結構好きというか、なんだか見ていて楽しいなぁ~とわりと好意的に捉えている。テレビであのような方々を見かけるといつもニヤニヤしながら見ている。IKKOさんに至っては福岡時代にトークショーを見に行ったくらい好きだ。

あのような方たちを見ると元気がもらえるからだろうか。大学時代にも昼を食べたり遊んだりするグループ(10人くらいかな)のうち、3人はいわゆる性的マイノリティな男の子たちだった。一人は完全にゲイを公言しており実際に彼氏を目撃したこともあった。もう一人は公言してないけどまぁ女っぽいしおしゃれだしゲイなんだろうなって感じで、もう一人は体以外は完全に女って感じだった。

彼ら言動のふとした瞬間に闇を感じることもあったが、今思えば3人とも明るかった。学内で見かけると「あら~江戸ちゃ~んおはよ~ん(ハート)」みたいな感じだった。

彼らは今元気にやっているのだろうか。もう彼らも間違いなく40過ぎたおっさん(おばさん)になっているはずだが。

あと、私自身は全然BLとかを読むタイプではないのだけれど、「おっさんずラブ」もだけど「きのう何食べた?」のドラマの世界観がすごく好きで、なんなら息子が将来「何食べ」のシロさんやケンジみたいになってくれてもいいのにくらい思っている。

edoandlee.hatenablog.com

話がそれてしまった。で、今日書きたいのは「性ってなんでしょうね」という話。

連日精神分析心理療法の話になってしまい申し訳ないのだが、先日の面談でもこのような話題がのぼったのだ。

  • 私は男性と心を通じ合わせられないというか、心を通じ合わせることと性的関係を持つことの両立ができない
  • 心を通じ合わせられる男性がいても性的関係を持ったら終わりって感じがする

みたいなことである。言っていることがよくわからないかもしれない。すごく簡単に言うと、夫婦として何十年も過ごしていて、なおかつ性的な関係も続いている人って、私からしたら「どうなってんだ?」「信じられないんですけど」みたいな話である。

これに関してはまだこうなるに至った過去のトラウマなども最近思い出してきており、まだぼんやりしていて現状糸口は見えていない状態ではあるが、まぁ自分がこんなだから今も別居してるし、そんなことがあるから今もこんな感じなんだろうなーと思う(表現が適当すぎ)。

私は常々自分は孤独だと感じているし、本当はだれかと心を通じ合わせて、その日にあったことを夜にお茶を飲みながら話すような安全地帯を求めていると思う。

ただ、その対象は別に男でも女でもいいんじゃないかと最近思う。

世の中を見渡すと「一生独身なんて寂しい」みたいな話になると、つい異性を対象にしがちな傾向があるように思うが、別に異性にこだわる必要はないのではなかろうか。

死ぬぎりぎりまで性的関係を持ち続けたい人もいるのかもしれないし、まぁそこは人それぞれだろうから知らんけどって感じだけど。

例えば、本当の姉妹ではない阿佐ヶ谷姉妹みたいな感じでずっと一緒に暮らしていくのもいいなーとも思う。その相手が男でも女でも。私には姉がいるので、2人とも未亡人になったら姉と将来暮らすのも良いかもしれない。

うーん、結局何が言いたいかというと、やっぱり私は安全な場所が欲しい。心が安心できる場所。そしてそこには人が必要だと思う。できれば猫もいると尚良い。

そんな人に、この先出会えるのだろうか。

心理士さんは「その辺の電車に乗ってる人の中にも(心通じ合える人が)何人かは普通にいるはずですよ」といったことを言っていた。本当だろうか。

女装した人の話からだいぶ話が飛躍したが、性ってなんでしょうね。

生き物として子孫を残す目的としては必要であると思うけれど、好みなんてみんな色々だし、そんなにこだわらなくても、というか、気にしなくても、目くじら立てて議論しなくてもいいんじゃないの?と思ったり。「映画が趣味です」「料理が好きです」みたいなレベルで性に関することももっと自由になったら人類滅亡しちゃうかな。

ということで、今日も結論のない話でした。おしまい!