エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

コーヒーレディーはマルドロールを駆け抜けて②

前回の話↓

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芸坂

針中野駅から乗車し、茶色く濁った大和川を超え、古市駅で近鉄長野線に乗り換えると何にもない喜志駅に着く。そこからほんの少し歩いていわゆる「芸バス」に乗る。今は坂の上までバスが上ってくれるそうだが、私が通っていた当時は「芸坂」と呼ばれる結構な急な坂の手前で降ろされ、学生たちは皆その坂を上ってそれぞれの建物へと向かっていた。

作業服を着た人、お嬢様みたいな服装の人、普通の人、奇抜な人、色々な人が坂を上っていく。変な人もいるけど、結構普通。芸大生って結構地味だなと思っていた。

芸坂を上ると向かって左手側の広場みたいなところでは、だいたいいつも舞台芸術学科と思われる人たちがダンスの練習をしていた。右手側には超ハイテクな図書館があって、無駄にお金をかけたとした思えない巨大なパイプオルガンのあるホールがあった。

コロシアムみたいな形の建物では、音楽系の学科と思われる人たちが発声練習をしたり、楽器を吹いたりしていた。

大学は小高い丘の上にあり、古墳とかがよく出る地域の山を切り開いて作ったのでオバケがよく出るみたいな話も聞いた。芸術のことを考えておかしくなってしまったのか、学内で自殺する人もいたりなんかして、地下にある音響系のホールにはお札が貼ってあったりもした。

私大、しかも芸大ということもあり、古い建物もあったけど、お金はあるので学校は結構綺麗というか、建物のデザインも有名な建築家がやってる感じで、比較的新しくできた建物の数々は近代美術館を彷彿とさせるものだった。学食でいつも座っている椅子が全部イームズかなんかの数万もする椅子ということを途中で知り、友達と盗んで帰ってやろうかなんて話をした記憶がある。

勝手な私のイメージかもしれない、というか完全に絶対私の勝手なイメージなのだが、「芸大には入ったけど…なんだかパッとしない」みたいな雰囲気が充満している学校だった。みんな一応芸大生というなんか誇り?みたいなものは一応なんとなく持っているんだけど、名前は東京藝大みたいだけど実は私大だし、偏差値低くても入れるし、田舎にあるし、みたいな。

しかも氷河期だし、卒業したってどうなるかわかなんないし、みたいな。

普通の人

特に私が在籍していた芸術計画学科という学科は、芸大に入りたいけど何らかの理由で美術学科や工芸学科、映像学科みたいないカッコいい花形の学科に入れなかった人の吹き溜まりのような学科だった。

私たちの学科は「芸計」と呼ばれていて、名目としてはアートディレクターとかを育てる目的の学科だったようだが、そんなのを本当に目指して入ってきてる人なんていなかったんじゃないかと思う。「面接と論文で芸大に入れる」というのがこの学科の最大の魅力だったのではなかろうか。

とにかくパッとしない学科だった。本当は美術学科に入りたかった私にとっては4年間の大学生活の中で、「芸計です」なんて胸を張って言える瞬間など一度もなかった。劣等感でしかない。ほかの学科の人に話しかけられても言いたくなかった。

たまに美術学科の教室で演習を受けることがあったが、羨ましくて仕方なかった。絵具だらけのつなぎを着て、でっかいキャンバスがあって、休憩しながら煙草をふかしたりしている人がいて。本当に羨ましかった。

私は一体あの学校で何をしていたのだろうか。20年以上経った今になってもそう思う。自分にとって良い影響を与えてくれた先生もいたし、そこまで興味がなかった映像の授業では「お前さんには才能がある」と教授に言われた素敵な出来事もあった。でも、なんか違った。全部違ってた。楽しい授業もあったけど、全部がなんかイマイチで突き抜けてなかった。

「芸大生です」「ちょっと変わった人です」的な、なんかそんなイメージだけをまとっている感じ。中身はちっとも変人じゃない私はただの普通の人。才能があると思いたいだけの人間。「普通の仕事」だけはしたくないってなんとなく思っているような。実際に同じ学科の友達にも「リイは普通だよね」って言われたこともあった。そう、私は普通の人間。芸大には通っているけど普通の人間だった。

「自分は特別な人間だ」と思いたかったんじゃないかと思う。きっとそうだ。いや、少なくともあの頃は、まだ心のどこかにそんな小さな火があったように思う。

あの頃は友達も何人かはいたし、別にぼっちとかでもなかったけど、今連絡を取り合っている人は誰一人としていない。たまに大学から広報誌みたいなのが届いて、「あ、私ってやっぱあの学校に通ってたんだよね」って思うくらい。楽しかったのか、楽しくなかったのかといえば、楽しくなかっただろう。

今となっては「大阪芸術大学芸術学部芸術計画学科卒業」って履歴書に書くのも恥ずかしくなる。なんだよ芸術学部って、芸術計画学科ってなんだよ、全然今のお前と関係ないじゃんみたいな。

それでもまぁ、大学時代の思い出はそれなりにある。このとおり学校がつまらなかったおかげで、大学のことよりも、大学じゃない場所でのことの方が覚えているし楽しかった気がする。それは、例えばコーヒーレディーの話であったりする。