エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

コーヒーレディーはマルドロールを駆け抜けて③

前回の話↓

edoandlee.hatenablog.com

きっかけとなった男

古着屋で買ったTシャツにユニクロジーパン、青いハイカットのコンバースに紫色のリュック…腕時計はカシオのデータバンク。当時の私はそんな格好をしていた気がする。全然かわいくないし、今思うと普通にダサいというか田舎臭い。

でもそんなダサい私なのに、大学に入って2カ月後くらいには彼氏ができていた。

そいつの名前はシダとしておこう。留年とか浪人じゃなくて普通に同級生なんだけど、なぜか歳が4つ上で、私の姉と同い年だった。

身長167cmの私よりも背が5cm以上は低く、イケメンでもタイプの顔でもなんでもなかったが、いつもニコニコしていて、面白いことを言って、同じ学科の中でもちょっとした有名人とまではいかないが、とにかく顔の広い男だった。

シダと仲良くなったのは、多分同じ美術系の演習を選んでいて、そのグループが一緒だったからとかだったと思う。最初はほかのメンバーも一緒に昼ご飯を食べに行ったりして行動を共にしていたが、いつの間にか2人でよく行動するようになった。1回生(※関西では〇年生ではなく〇回生と呼ぶ)は必修科目が非常に多く、1・2回生で頑張っておかないと3・4回生で楽できないという定説があったため、シダは映像系の授業を多く選んでいたが、私たちは授業が被ることも多かった。

同じ学科の数名の友達グループと過ごすこともあったが、私もシダもその時は互いに惹かれ合うものがあったのだろう、学校に行っても2人でいることが多かった。

どいういうタイミングで付き合うという関係になったかが全然思い出せないのだが、気づいたときにはシダはもう私の家に頻繁に来るようになっていた。彼は原付で来れる距離(といっても結構あるが)の実家に住んでいたので、そこから原付でよく私の家に来ていた。私がシダの家に行くことはなかった。

私が住むのは何せ11平米しかない狭い部屋である。男女の関係になるまでにはそう時間はかからなかった。というか基本的にベッドの上しかゴロゴロできる場所がないのでそういう展開になりがちなのは仕方がなかった。

ただ、あくまでも記憶上の話ではあるが、私はシダと朝から晩までサルのように…みたいなことはなかった気がする。それよりも2人で色々なことを話していた記憶の方がある。家の中でもそうだけど、夜中に24時間営業のファミレスでずーっと明け方まで喋っていたり、なんかそんな記憶の方がすごくある。

シダは偏差値的な意味では私より頭の悪い男ではあったが、映画が好きで、結構色々なことを知っていた気がする。話を膨らますのも上手で、面白いことも思いつくし、とにかく話していて楽しかった。話が尽きなかった。

高校生の時にも付き合っていた男子はいたが、本当にちゃんと付き合ってたという意味ではシダの方が本当にちゃんと付き合っていたと思う。例えば夜一緒にコンビニにご飯を買いに行って、家に帰ってきて一緒にご飯を食べるとか、なんかそいういう普通の生活が一緒にできる初めての男だった。

金持ち属性と貧乏属性

やってることは半分お遊びのようなものにも見えるかもしれないが、芸大生、特に1~2回生は必修講義や課題も多く、結構忙しかった。

そして、医大ほどではないにせよ、医大の次にお金がかかるといわれる芸術大だけあって、今思うと結構お金持ちの家の子が多かったように思う。親が医者、公務員、田舎の地主、大きな会社のお偉いさんとか、話を聞いてみると結構そんな子が多かった。私みたいに親に借金があるのに「子供を四年制の大学に入れたい」という単純な親の見栄だけのために芸大に通っている奴なんてほとんどいなかっただろう。

もちろん、全然お金はないけど芸術を学びたいという純粋な気持ちで、奨学金やバイトを駆使してなんとか通っているという人もいた。ただ、そういう人は結局お金が払えなくなって途中からいなくなるパターンが多かったように思う。

私の場合は、奨学金を申し込んでいたこともあり(結局のところその奨学金は親が別のことに使っていたようだが)、家賃と合わせて10万にも満たない仕送りで生活していた。つまり、最低限の生活は仕送りでなんとかできるレベルだが、服やCDを買うなど娯楽に関してはバイトしなければ無理という状況である。

前述のとおり芸大生は大きく分けると金持ち属性と貧乏属性に分類することができ、言うまでもなく私は貧乏属性だった。金持ち属性の子たちはバイトをしようとする素振りなど微塵も見せなかったが、貧乏属性の私は入学早々にバイトを探さなければならなかった。

ただ、芸大生は意外と忙しいのである。朝8時台くらいには学校に行って、帰ってきたら夕方。ちょっとした作品を作ったり、京都とかまで展覧会を見に行ってそれのレポートを書いたりすることもあった。街中の銅像を何十体も調べるとか、ジョンレノンの歌詞をノートに書き写すとか、なんか意味不明なことをやらされたことも今思い出した。

だから、平日にバイトなんて夜遅い時間しか無理だし、安定して働ける時間を確保できるとしたら土日しかなかった。近所のフォルクスで夜のバイトを始めようとしたことがあったが、覚えることが多いのと制服に着替えるのがめんどくさいみたいな理由で3日くらいで辞めた。あとは上本町かどこかでテレアポのバイトに行ったことがあったが、どう考えても怪しいやつでそれは1日で辞めた。

あと、なぜか当時の私はバイトに対して「髪型が自由なところがいい」という強い希望を持っていた。大学に入学して3ヵ月ほどしか経っていなかったが、実家を出る時には無難なオレンジっぽい茶髪だった髪は、その時にはもう当時流行りのアッシュカラーになっていた。きっとそれも普通の人になりたくないという、当時の私なりのこだわりだったのだろう。