エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

コーヒーレディーはマルドロールを駆け抜けて⑦

前回の話↓

edoandlee.hatenablog.com

コーヒーレディーの仕事

コーヒーレディーの仕事は、多分その店によって微妙に違うと思うし、ちゃんとしているところはちゃんとしていると思うが、私が働いていた店は多分あまりちゃんとしてなかった。

まずコーヒー屋としてのスペースがきちんと設けられていなかった。ガラス張りになっている正面入り口側の、入って右の端の方に大きな銀色の円柱があって、その円柱付近に、よく小さい居酒屋とかにあるような透明の冷蔵庫と、ニトリとかで売ってそうな木製のカウンターが置いてあるだけだった。スペースでいうと1畳分くらいしかなかったのではなかろうか。そんなホールの隅っこの端っこで私たちはコーヒーを作ったりしていた。

使っている水は、店の2階にある従業員用の食堂から汲んでくるただの大阪市の水道水だったが、コーヒーは一応「ハマヤ」というそれなりにちゃんとしたメーカーのものを使っていた。ホットコーヒーはコーヒーメーカーにフィルターをセットして、コーヒー豆を入れ、水をセットして抽出されるのを待つのみ。大量に注文が入るときは大急ぎで作ったりすることもあったが、売れないときは一定時間を過ぎると不味くなるので捨てる。

出来たコーヒーはよく会議とかに行ったら出されるようなカップホルダーに使い捨ての白いカップをセットしてコーヒーを入れる。その頃はコロナ的な衛生概念もなかったので、カップホルダーなんてよほど汚れてないと洗ってなかったと思う。というか洗った記憶がない。

お客さんによって好みは違う。ミルクがいる人にはミルクを入れ、砂糖がいる人には砂糖を入れる。スティックの砂糖2本の人とかもいるし、いわゆる「アメリカン」にしてくれというお客さんもいた。味見とかせず適当にお湯を入れて薄めていたと思う。

あとはアイスコーヒー。アイスコーヒーも多分ハマヤのやつだったと思う。氷はどこから調達してきていたかすっかり忘れてしまったが、ホットコーヒーと同じカップに2個くらい氷を入れていたと思う。で、お客さんの好みに合わせてミルクやシロップを入れて、それを混ぜて出す。

そうしてできたコーヒーをあるときはカップのまま、ある時は小さなトレーに乗せてお客さんのところに運ぶのが私たちの仕事だ。

小汚いおっさん、清潔感の欠片もないおばさん、貧乏そうな若者、そんな人たちがひたすら台に向かってパチンコやスロットをやっているところにコーヒーを運ぶ。台と台の間は狭いので、コーヒーを置くときはかなりお客さんに接近することになる。多分その接近を楽しみにしていたお客さんもいたと思う。

常連の陽気なタイプのお客さんとかだと手を握ってきたりとか、軽く尻を触られるようなこともあった。注文が来ないかホールに立っていたら後ろから抱きつかれたりとかもあった。もちろんそんなときはパチンコ屋のマネージャーとかが「それはあかんで~!」みたいな感じで間に入ってくれていはいたが。まぁわりとそういうことはあった。

当時の私はオッサン耐性がわりと強く、というか、自分でも若い男にはモテないけどオッサンにはモテるという自覚がなんとなくあったため、そういうことをされても「あーまたか」みたいな感じで特に嫌な気にもなっていなかった。もはや「オッサンええ思いできてよかったな」くらいに思っていた。

コーヒーはホットもアイスも250円だったと思う。だからエプロンの片方のポケットには500円玉と100円玉と50円玉が入っていて、片方のポケットには千円札が入っていた。

どこの誰にどのコーヒーを持って行くかは、台の番号とかコーヒーの種類を書く紙があったので最初の方はそれを使っていたが、慣れてくるともう頼んでくるお客さんもだいたい同じなので、何もなくても好みやお客さんの位置を記憶できるようになっていた。

煙草

店のコーヒーについては食堂の水道水ということが脳裏をかすめるので素直な気持ちで「美味しい」とは思えなかったが、わりと子供の頃からコーヒーが好きだった私にとっては美味しいほうの部類だったと思う。

バイトはコーヒー飲み放題だったので、私は休憩の度に店のコーヒーを作って飲んでいた。ホットはなんとなく水道水の汚いイメージがあって嫌だったので、パックからそのまま注ぐタイプのアイスコーヒーをよく飲んでいた。氷を1個にして、大量にミルクを入れたアイスコーヒーを2階にあるコーヒーレディー用の休憩室に持って行って、畳に足を投げ出して煙草を吸いながら飲んでいたことを思い出す。

私は父親がヘビースモーカーだったので、自分は煙草なんて絶対吸わないとずっと思っていたのに、喫煙者であるシダと付き合うようになり、さらにパチンコ屋で煙草のにおいを日常的に嗅いでいるうちに気づいたら自分も吸うようになっていた。ほかの煙草に浮気することは一度もなく、常に「セーラムピアニッシモ」の1mgのごくごく軽いやつを吸っていた。

煙草を吸うと全身の力が抜けるような、クラっとした感覚になって、身体全体がちょっと緩む。煙を吐くと、煙と一緒に嫌な気持ちも身体から出て行くような、それが可視化されているような気がした。当時の煙草は1箱280円くらいだっただろうか。気づけば1日1箱は吸うようになっていた。

今でこそ煙草を吸う人が圧倒的に減ったが、当時は若い人もよく煙草を吸っていたように思う。特に芸大生の女子たちの喫煙率はかなり高かった気がする。基本的に講義や演習が終わったら廊下で煙草を吸うのが当たり前の光景だった。

借金王のドクズな父親がこよなく愛していた煙草は、我が家にとっては完全に悪の象徴だったし、私もドクズの父のようになるまいと思っていたが、気づけば私も煙草の欠かせないドクズ色に染まってしまっていた。

その後、29歳で結婚するまで10年ほど私は煙草を吸っていた。途中、25歳くらいのときに肺気胸で肺が半分くらいまでしぼんでしまい、全身麻酔で穴のあいた肺にクリップを入れる手術もやったけど、結局それでもやめられなかった。

最終的には禁煙外来に行ってチャンピックスという薬を飲むことでやめたが、それまではずっと家族には煙草を吸っていないふりをしていた。多分バレていたとは思うが。