エド&リーのブログ

未亡人に憧れるゴーストライター。深海魚のような仲間を探しています。結論の出ない話多めです。

ライターの仕事と私 ①ライターになった理由

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この歌詞は自分のことを言われているようですごく好きです。

コーヒーってすぐ冷めるよね。もう仕事するギリッギリの直前に淹れないと駄目だな。

昨日も夜寝落ちしてしまい、結局もう3日間連続で休んでしまった。

薬のせいもあると思うんだけど、本当に眠いのよ。気づいたら寝てるのよ。

もうね、「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか!(えなり君で再生)」なんですよ。しょうがないんよ。眠いんよ。昨日なんて子供が寝る前に「かぶとむし」っていう絵本読んでたんだけど、最後の方ヤバかったよね。もうそんなレベルで眠いんですわ。疲れてンだわ。

でも3日連続で休んだけどやりたいこと、というか仕事以外の用事も全然終わってない。でも明日〆切の仕事があるから今日はそれだけでもやろう(まずはブログ書くのやめようなって話だけど)。

前置きが長いンだわ

こんな納期に追われながらダラダラ仕事してる私も「もっとちゃんとしなきゃ!」と思うことはありましてね。悩むこともあるんです。

2ヶ月くらい前だったかな、いつも話を聞いてもらっているカウンセラーさんに「今の仕事好きだけど、会社勤めの人みたいにちゃんと決まった日に休めないし、実質稼働時間めちゃくちゃ長いと思うし、将来仕事なくなったらどうしようとか思うんですよね。雇われライターか、違う仕事でOLとかなんか定職に就いた方がいいのかな…って思うんです」って相談したんですよ。

そしたら「江戸さん今の仕事好きなんですよね?それに今は子育てもあるしフルタイムで働くのは今以上に大変じゃないですか?仕事がなくなるかもしれないのは雇われてても同じですし、今ちゃんと毎月お仕事があるなら、本当に仕事がなくなるまで続けたらいいんじゃないですか?」って言われて。まぁ雇用に関しては雇われてたほうが安心だろうけど、たしかにそうだなと。仕事あるうちは続けれてばいっかって思ったんです。

あと、先日、OL時代にお世話になっていた派遣会社から「ライター兼編集のお仕事・出社は週1だけでOK」みたいな、結構色々と条件のよさげなそこそこちゃんとした会社の案件を打診されて、一瞬迷ったんです。で、前に同じ会社だったライター仲間(というか先輩?)たちに、「こんな話来たんですけどどう思います?」って相談してみたら、「自分の休みたい日に休めないのきつくないですか?」とか「眠り姫問題(←なんか気を遣ってくれている)は大丈夫なの?」とか言われて。

それで、あぁ、やっぱ今の自分では無理だな。お世話になってるクライアントさんたちに「私来月から会社勤めするからもう取引きやめるね!バーイ!」とか寂しすぎるしなんか不義理だなって思って(私はいつ切られるかわからないのにね)、しばらくこのままで働いてみることにしました。

だから何だって?なんもないよ?聞いてほしかっただけ!

私がライターになった理由(ようやく本題)

で、誰も興味ないと思うけど、今日は私が今なぜライターをやっているかについて書きたいと思う。

多分もうその頃には「いつか自立して離婚したい」という願望が密かにあったんだと思うけど、私は娘が生まれてしばらくしてからもう外で働きたくて仕方がなかった。子どもを赤ちゃんの頃からずっと預けちゃうことに関しては、あくまでも個人的な考えとして正直「うーん…」と思うところはあるけど、その反面、子どもを産んでも働き続けている人を非常に羨ましくも感じていた。

今は多分ちょっとマシになってると思うけど、私は待機児童で有名な横浜市に住んでいて、当時も一応認可保育園の申し込みをするけど「求職中」の私が子供を市立の保育園に預けるのなんて到底無理だった。

子どもがいる方ならある程度ご存知かと思うが、公立の安い保育園に入るためには、「今育休中か」とか「どんな仕事をしているか」とか「きょうだい児がいるか」とか「どのくらい働いているか」とか、色々な条件によって点数が決まっていて、合計点が高くないと希望する保育園にはなかなか入れないのである。

しかし、有難いことに横浜市には「横浜保育室」という独自の制度があり、園庭とかはなかったりするけど、横浜市の基準を満たした保育園で、幼稚園に入るまでしか預けられないけど、保育料も安いという保育園があるのだ。

しかもその横浜保育室は、今はどうだか知らないけど、当時は「先着順」で入れるということで、働きたくて仕方なかった私は、前年の9月頃から電話をかけまくり順番待ちをして、最終的にキャンセルが出たということで、幼稚園に入園できるまでの1年間、娘を預けられることになったのである(なお、息子は既に幼稚園に通っていた)。

ただ、その時は私は無職だったので、急いで娘の入園までに仕事を決めなければいけない!そんな時に見つけたのが「ライター募集」という近所の全然知らないWebコンテンツ制作会社の求人案内だった。

ド素人からいきなりライターになる

「1日短時間からでOK」「未経験OK」「土日休み」「週3日からOK」みたいな感じで、条件はド素人の私からしたらかなり良く、何より、息子の幼稚園と娘の保育園から近く、自転車で通える場所にあったのが好都合だった。

「ライターになんていきなりなれるの?」「これ絶対にいつも求人出てるやつやろ!」という疑念を持ちつつも、「でもライターになれたら、下手したらそれで一生食べてける可能性もあるよね…」とぼんやりとした希望を持ちながら、私はその会社に応募をしたのだった。

すると、社長と名乗る男性から「ちょっと急で申し訳ないんですけど、明日、「老後リフォームならこの5つは絶対するべき!」っていうタイトルで1500文字くらいの記事書いて持ってこれますか?」と言われ、「え、明日?マジかよ急すぎだろ…子どもおるんやけど」と思いながら、必死だった私は記事の書き方とか全然わからなかったけど、とりあえず1500文字の記事を書き、夫(仮)に急遽休みをとってもらい、履歴書と一緒に持っていったのだった。

今思うと自分でも一晩で良く頑張ったなと思うが、前にちょっと書いたことがあるかもしれないが、私は高校くらいまでなぜか国語(現代文)の成績だけがいつも異常に良く、大学入試も論文(と面接)で入り、大学も事あるごとにレポートを書かされるという学科だったので、文章を書くことには慣れていた。今でこそすっかり廃れてしまったが、若い頃はmixi(ミクシィ)をやっていて、文章を書くことがそもそも好きだったのだろう。

ちなみに、これは後日わかったことなのだが、社長はこのド素人の私が書いた「テスト記事」をクライアントに納品しているのだった。なんて商魂たくましいというか、ケチな人なのだろう(良い意味で)。さっき調べたら未だに記事がアップされているので、その記念すべきテスト記事をここに貼り付けておくとする。

www.kaigo-reform.com

で、当時のオフィスは「え?ここですか?」みたいな見た目の、ワンルームのアパートの一室で、室内にはギュウギュウにデスクが並んでいて、そこにいる人たちも全然喋らないし、社長も来てないし、もうオフィスに入った瞬間「うわやべーわ、これアカンやつや…」という印象しかなかった。

そしてしばらくすると社長…といってもなんかやたらデカいそんなに歳も変わらなさそうな男性が入ってきて、めっちゃ至近距離に他の人たちがいる中、しかも話丸聞こえの中で面接をした。そして持ってきた文章を読んだ社長は「お上手ですね!是非お願いします!」みたいな感じなことを言って、あっさりと採用が決定した。

なお、それが2017年のたしか2月の話で、私が働き始められるのが4月からで、そのヤバいオフィスは私が入社するころには近所のマシなビルに引っ越していた。

ありがとう社長、よくやった自分

このように完全に勢いでライターへの道を歩み始めることになるわけだが、今考えても本当になんでもやってみるもんだなーと思う。

あの時「もう何年も働いてないし」「ライターなんてやったことないし」って感じで応募せず、しかも社長の無茶ぶりのテストライティングに挑戦していなかったら今の自分はいないわけで、おそらく夫と別居できるレベルまで自力で稼ぐこともできていなかっただろう。

フリーになった今でも社長の会社から一応毎月仕事は受けているが、社長はハッキリ言って人としてどうかと思うところは多々ある人だ。実際社長とウマが合わずに辞めていった人もたくさんいたし、今でも親交のある先輩たちや同僚たちもまさにそうで「あの人はねぇ…」みたいなことを言うが(それについては私も同意なのだが)、社長があの時OKをくれなかったら今の私はいないので、私も先輩や同僚たちの意見には同意しつつも、社長には今でも心から感謝している。

今は年末年始にメールするくらいしか連絡はとらないくらいの関係だけど、私にとって社長はチャンスをくれた神様とまでは言いたくないけど(人格的に)、本当に恩人である。なので、今もライター不足で困っているらしいし、単価も他のところよりも安いけど、一応少しでも力になれたらなと思って社長の会社からの仕事は毎月受けている。

長くなってしまったが、これが私がライターになったきっかけである。ちなみに前職についてもまた別記事で書きたいが、ライターになるまで(子供を産むまで)は、全然関係ない仕事をして、フラフラしていた。

 

(長くなってしまったので今日はここまでにします。次は雇われライター時代の話について書こうと思います)